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【2025/03/13 01:31 】 |
n039 信長元服 (細川家)5
銀杏の葉が赤くなる頃、本格的に細川家の摂津攻めが始まった。今回も大将として軍を率いる竜之介は、十河一存の敷いた行軍路(妨害工作により既に一部は潰されているが。)を通り、難なく国境の本願寺砦へ接近することができた。だが本願寺勢も主力部隊の他、加勢に馳せ参じた僧兵や一向宗らの団結により予想以上の抵抗を見せ、細川勢に夥しい出血を強いた。
 一時はさながら地獄絵巻のような様相を見せた細川方陣中にあって、長尾咲率いる随行医療隊は傷病兵の手当てに追われていた。
「はわわわっ!落ち着いてくださいまし!傷はそんなに深くはありませんよ。気丈になさって!あれっ、もう軟膏が足りませんわ。」
「咲様こそ落ち着いてください。その方が血を流されているのは額ではなく、腕ですよ。」
 傍らの看護長に叱咤されながらも、咲は本来の落ち着きを取り戻してきぱきと傷病兵の手当てを進めていった。戦場での混乱には不慣れなだけで、元々有能な医師なのだ。ともかく医療隊の献身的な看護により、傷病兵は早々の回復を果たし、再び戦場へと戻っていくのだった。
 次から次へと沸いて出る細川勢を観て、あたかも兵力が無尽蔵であるかのように感じとった本願寺勢は、まず先陣の兵達が明らかに動揺を見せるようになった。
 勝機を見て取った遼太郎と竜之介はここぞとばかりに突貫を試み、その作戦が功を奏して本願寺勢の防衛砦を、昼夜を分かたぬ猛攻の末に陥落せしめることができた。摂津に入った竜之介らの眼下に広がるのは、石山御坊までは遮るもののない平坦な大地が広がるばかりだった。


「進め進め、今が好機ぞ!敵が応戦体制を敷く前に、一気に石山御坊に取り付くのだ!」
すかさず杉隆滋の下知が飛び、鬨の声を上げて細川勢がどっと摂津領内になだれ込んだ。
 本願寺勢の散発的な抵抗はあったものの、全く意に介することもなく、それらを瞬く間に蹴散らしていった。 石山御坊から出撃した遊撃兵団すらも一戦してすぐに総崩れとなり、散り散りになって逃げ出した。が、城に篭る守備兵は細川勢が至近に迫りくるのをみて恐れをなし、城門を開けようとしなかった。
「開けろ!俺達を中に入れてくれ。」
 帰還兵が口々に叫ぶが、城兵は全く応じる気配がない。怒号が飛び交う中、とうとう帰還兵の中には寝返るものまで現れ始めた。本願寺勢の同士討ちの混乱に乗じて、易々と城門を突破した隆滋は城内の要所を次々と押さえ、ついに本丸にて総大将・本願寺証如や一門衆・願証寺証恵らを初めとした一線級の将を生け捕りにすることに成功したのである。本願寺証如にはすぐに逃亡されたものの、ここに石山御坊は陥落し、細川勢の掌握するところとなった。
 

 本願寺の将らは牢へと放り込まれたが、獄生活を送る数日間の間に最期を悟り、大人しく仏に祈りを捧げたり、只管念仏を唱えていた。だから不意に現れた遼太郎から出獄を促された時には、皆死を覚悟していた。だが思いがけず縄目を解かれて、城門の外に案内された時にはだれしもぽかんとした表情を見せた。
「・・我らをどうするつもりじゃ。」
「どうするも何も解放するのです。分かりませんか。」
「何ゆえか。戦に敗れた者は死者となるか捕虜として勝者の道具になるのが、戦国の世の倣いであろう。そうでなければ何のために戦う道理がある?勝って自分達の思いのままに国を作るのが我ら共通の願いではないのか?」
「確かに負けたくはありません。できるなら早くこの荒んだ世を平和に満ちた、民が笑って過ごせるような世にしたいと思います。ですが泰平の世を敗者の死屍累々の上に築こうなどと思ってもいません。」
「侮るなよ、そんな甘い考えが通ると思うか。」
「思ってますよ。割と真剣に、ね。」
「ふん、了解した。そなたがかような甘い戯言をいつまでほざき続けていられるか楽しみに見ててやろう。・・・さらばじゃ。次に戦場で敵として会うた時、情けをかけることはないぞ。」
「一向に構いません。何度でも我らが勝ちますので。」
 言葉とは裏腹に、願証寺証恵らは幾分かすっきりとした表情で加賀の本領へと落ち延びていった。彼らを見送った後、一部始終を物陰で見守っていた竜之介が遼太郎の肩をぽんっと叩きながら呟いた。
「伝わるといーな。お前の平和を希求する想いがあいつらにもさ。」
「信じてるさ。彼らだって、誰もが幸せになれる世の中を作りたいって考えてる。そう、根っこのところは皆、同じことを考えているんだってね。」
「さあて、上のモンらに詫び状を書くかねえ。捕虜に悉く脱走されましたって。」
「すまん・・俺の我儘で。」
「いいってことよ。国ひとつ手に入れた大功績があるんだ。幾らなんでも殺されることはないさ。」


 竜之介の言うとおり、彼らが処罰されることはなかった。そんな事よりももっと大きな火種が細川家には持ち上がっていたのである。
 それは松永久秀が野望を顕にし始めたことだった。細川家・四国勢を実質的に牛耳る彼は、半ば独断で北伊予や東土佐への敷設を始め、行軍路の途中には砦の建設も着々と行っているのだ。
その露骨な行動に細川家の諸将は噂に事欠かなかった。
「久秀殿は徒に河野や長宗我部を刺激しているように見えるが。」
「四国勢は軍事面に関しては、質量共に充実している。二正面での戦となっても勝てると踏んでおられるのだろう。」
「だが、河野はともかく長宗我部は厄介だぞ。それに海を挟んだ備前備中の浦上家にも気をつけねばなるまい。」
「功を焦っておられるのかもしれん。最近ぽっと出の若造ばかりが手柄を上げるのでな。」
「元は野心多き方だ。これまでが大人しすぎたのさ。」
「だが、公算なき拡張にはいつか限界が訪れるぞ。それが分からぬお方でもあるまいに。」


 時を同じくして本城・岸和田城に居座る一門衆筆頭の細川持隆も行動を起こし始めた。伊賀大和へ物見を頻繁に放ち始めたのだ。そして国境では砦の建設に着手していた。明らかに筒井領への侵攻を画策しているのが諸将には見て取れた。
 持隆は形式ばかりの評定を開いて重臣派だけで勝手に筒井家への侵攻を決めてしまった。ちなみに久秀にいたっては、事前に晴元に一通の書状で連絡を寄こしたのみである。


「今度は持隆殿か。一体どうなっているのだ。」
「久秀殿に煽られた・・という訳でもあるまいが。」
「殿に『兵農分離策』を説かれたとも聞くぞ。」
「農民と兵士を切り離すとかいう例の案か。発案は中村殿とも聞くが。」
 一門衆と革新派が積極的な領土拡張策を推し進める中、三好長慶ら重臣派は不気味なほど静観を保っていた。今はまだ動くときではない・・果たしてそう考えているのだろうか。

 そんな各派閥の動きにも一切動じる気配を見せなかった遼太郎や竜之介らだったが、ある報が彼らを震撼させた。なんと、北水館出身者中で稀代のアホと名高い青山春雅が元服し、細川家に召抱えられたというのだ!


「まずいまずいぞ!あーなんてことだ!殿はなぜ彼奴をお抱えになられたのだ!?」
「北水館出身者であればヨシ・・とお考えになられたのではないか。我らが少々目立ちすぎた為にな。自分で言うのも面映いが有能揃い、としてな。」
「誤解もいいところだ。あいつの取り柄はお綺麗な顔ぐらいだぞ。」
「どうもあの端麗な容姿と率直な物言いを気に入られて、傍仕えを許されているとか。」
「政事を引っかきまわさねば良いが・・。」
「いくらなんでも大した功績もない青二才を表舞台でいきなり重用されることもあるまい。せいぜい姫様方が御懐妊されたとかいう類の話を聞かされることのないよう祈るばかりだ。」
「(桜様に手を出したら・・いくらあいつでも承知せんぞ・・・。)」
「ん?何か言ったか?」
「あ、いや・・・・」

 果たして、二人の杞憂は現実となった。名誉の為にも姫の一人が身篭った・・・というわけでないことは先に断っておく。
 春雅が晴元の役に立ちたいとばかりに、波多野家に使者として出向き、両家の誼をより一層深くして見せると息巻いたのだ。そこまで言うならと色眼鏡になっている晴元の許しを得て、意気揚々と丹波・八上城に出向き、波多野稙通との交渉に臨んだ彼は、なんと波多野家の要請を独断で受け入れたのである。


「依頼内容は『室町御所の攻略』だとお!」
「管領が将軍を攻めるなぞ、前代未聞じゃねーか!?」
「あ、いや元々目の上のたんこぶかな~って、思ってたし。」
 八上城からの帰路、意気揚々と石山御坊に立ち寄ったいる立ち寄った春雅は、口をぽかんとさせる遼太郎と竜之介にあっけらかんと言い放ったものである。
 確かに武士に二言はなしとの例えどおり、『一方が困窮した折には、互いに力になる。』という誓約を交わした同盟相手の申し出をあっさりと断るのも難しい。戦国の世でそういった信義を大事にするのは今後の外交を思えば重要なことである。梟雄と評される者らからすれば、鼻で笑い飛ばしそうな話であるが。だが無理難題にあっさりと応じる馬鹿はいない。
 だからこそ、そこを上手く立ち回るのが使者に課せられた責務であり、実力の発揮どころであるはずだが、目の前でかんらかんらと高笑いしている春雅にそれは望みようもなかった。
 ただ一度受けた話を断っては晴元の顔を潰すことにもなる。かくして細川家中に半年以内に山城へ進攻するように命が下ったのだった。


そんな中、紅葉姫の髪結いの儀が執り行われたのだが、残念ながら家中全体が騒然としており、祝いの品もそっけないものばかりだった。見目麗しき彼女は父・晴元から空々しい祝いの言葉を投げかけられて「き~~っ!」と癇癪を起こしてみせたものである。



     
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【2015/10/31 10:09 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n038 信長元服 (細川家)4
山中竜之介を総大将とする細川勢は紀伊への侵攻を開始した。北水館時代の後輩・岡田三郎太らの活躍もあり、見事雑賀城の攻略に成功したのだった。


 雑賀城に入った竜之介は、鈴木家の主だった面々の投降を受け入れた。本国の裁可を仰いだ結果、彼らは皆、細川家の傘下に組み入れられることになった。広大な紀伊の地を手に入れ、勇猛果敢な武将の取込にも成功した細川家の名声はますます高まり、管領晴元は名ばかりでなく実を伴うことを世に知らしめることに成功した。


 遼太郎の活躍もあって、雑賀城の修復をあっと言う間に終えることができ、すぐさま紀伊に広がる荒野の再開発を推し進めることに決まった。たちまち各地の諸将が雑賀城に集められ、事前に開かれた評定では、細川家の今後の方針について討議が繰り広げられた。
 口火を切ったのは一門衆筆頭の細川持隆である。彼は寺社を保護する有用性を説いた。
「戦乱の世にあって、人心を安定させているのは、御前で申し上げるのも憚りながら、僧らによる教義に因るところ大である。先の戦で荒廃した紀伊の人心を掌握するためにも、今こそ寺の建立を推し進めるが良かろうと存ずる。それにより民の心の平穏を取り戻せば、紀伊の地への民の定着を促し、引いては収入基盤の確保が約束され、我が細川家の行く末は磐石となるであろう。」
 

 対抗するように重臣・三好長慶は声を張り上げた。
「僧を加護しすぎると、一向宗門徒らの支持により強大化している隣国・本願寺家の驕慢を助長することになりはせぬか。そのような利敵行為を黙って見過ごすことはできぬ。それよりも紀伊の地を後方支援の要とし、金・兵糧の一大生産地とすべし!」
 また革新派からは角度の異なる提案がなされた。
「主力である足軽隊を強化するには皮布の一層の確保が必要でしょう。ただ領国内唯一の生産地・阿波から供給される量だけではとても足りませぬ。ここは本願寺家の有する皮布生産地を奪取するのが宜しいかと。」
 

喧々諤々の議論が交わされた結果、それぞれの案を一部取り入れる折衷案がまとまった。
すなわち紀伊の商人町、農村の復興と寺社文化の振興、それに皮布生産地を有する本願寺家の攻略準備を開始するというものであった。

さっそく兄・長慶から命を受けた十河一存は岸和田城への帰還を果たした後工作隊を編成し、摂津内の行軍路の敷設作業を開始した。それは敵砦の策敵範囲のぎりぎり外を迂回するという危険を伴う作業であったが、一存はいささかも動じる気配を見せなかった。
【2015/10/29 23:54 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n037 信長元服 (細川家)3
細川家では三大派閥が主導権争いを繰り広げていた。

・細川持隆を首魁とする一門衆
・三好長慶を首班とする重臣派
・松永久秀を代表格とする革新派

 北水館出身者は今のところ、いずれにも与していない。
 各派閥にしてみても、若輩者を相手にしていなかったというのが本音だが、この1年で数々の成果を上げた彼らが無視できない存在になりつつあるのは確かだった。

 秋の重臣会議にて、細川家は富国強兵を全面的に推し進めることが決定された。
 領内の町では、優遇政策により大商人を次々と誘致し、寂れた自由市がより活気の見込める商館街へと生まれ変わっていった。また沿岸地域では、漁業技術が見直された結果、放棄された畑の代わりに漁戸が次々と立ち並ぶようになった。
 これらの施策により、より多くの金と兵糧の増収が見込めるようになっている。

 軍事面では窮屈な兵舎が取り壊され、戦場での立ち回りを教示する道場施設が付加された大兵舎が建設された。
 そして岸和田城では当主晴元の陣頭指揮の下、改築が進められ、本丸に御殿が建設された。眼下に攻め寄せる投石攻撃を容易に行えるようになり、防衛力がより強化された。


 それらの陰で、密命により大西頼武の指揮する工作隊が、紀伊に向けて着々と行軍路を敷設していた。作業は雑賀城にいる鈴木家に気取られぬよう、慎重に進められた。


 そんな中、細川晴元は正式に紀伊攻略に乗り出す決意を家臣達に伝え、準備を進めるよう指示をした。いずれ組織される遠征軍の指揮をとる大将には、驚いたことに軍事奉行である竜之介が命じられた。しかも大将が無位無官では様にならないという理由で、竜之介には従七位の下・典膳が与えられたのだった。


この晴元の独断には、各派閥から非難の声が上がったことは言うまでもない。
【2015/10/28 01:42 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n036 信長元服 (細川家)2
遼太郎の発案で、細川家では全国に先駆けて「木版印刷」が導入された。行政の効率化を促し、主君晴元と長女桜姫から大層喜ばれた遼太郎は、一層の働きを見せることを誓ったのだった。

季節が移ろい、年が改まると、細川家では大規模な人事異動が行われた。
河内和泉、阿波、讃岐の全家臣が目まぐるしく配置換えをすることになったのである。


引継ぎが慌しく行われ、一時は家中の混乱を生み、そのような指示をした重臣・三好長慶の判断を疑う者も現れたが、それを公然と口にする者はいなかった。emoji
長慶は細川家中でも大勢力を誇る三好一党を率いる重鎮中の重鎮だが、
良からぬ噂を持つものとしては久秀とまさに双璧を成していた。
 
だが、そのような大混乱を生んだ配置換えだが、思わぬところで適材適所を証明した者もいたのだった。
その筆頭と言えるのが、北田義孝であろう。
宮廷工作の任を与えられた彼は、細川家の収入の実に15%に及ぶ資金を朝廷に献上することを進言し、晴元の許しを得ると、生来の人当たりの良さも生かして左大臣の子・菊亭晴季に接近し、見事細川家に典膳の官位を与えられるよう取り計らったのである。室町幕府の役職としては管領という高みに上り詰めた晴元も、朝廷から下賜される官位は従四位の下・右京大夫止まりであり、従七位の下とは言え、家中の者を自由に典膳の位に就けられるようになったことは、公卿連中への影響力が増したことを意味していた。


このことは晴元を大いに喜ばせ、細川家の経済力を向上させた先の遼太郎や軍備の増強に余念がない竜之介とともに北水館出の若侍たちの覚えを目出度くしたのであった。

細川家にはなおも明るい話題が続いた。
晴元の子・重盛と長慶の弟・十河一存と細川家の将来を担う若武者が元服を果たしたのだ。


だが家臣の中には主筋の重盛よりも、先に一存の元服を寿ぎに三好の邸宅を訪れる者も現れて、 まるで主従が逆転したかのような光景であった。emoji

そんな中、桜姫の髪結いの儀がつつやましくも行われたのだが、
それを大仰に喜んだのは遼太郎ぐらいだったかもしれない。emoji


桜の花びらが舞い、春の訪れがあちこちで感じられる頃、遼太郎は軍事奉行に就任し、同列の竜之介や杉隆滋と計らい、兵に持たせる三間槍を開発した。これまでに類をみない長槍の開発は、細川家の戦場での強さに大いに貢献すること、疑いようもなかった。
【2015/10/27 00:21 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n035 信長元服 (細川家)1
時は戦国。これは乱世を憂える河内国の若者たちが、世に平和を齎す為、邁進する姿を描いた物語である。

河内国の私塾「北水館」で英才を鳴らした中村英統(通称遼太郎)は、元服後細川家に仕えることになった。彼は最初の任務で銀山探索を命じられ、見事その任を成功させるのである。


「中村殿、此度は大手柄でござったな。」
帰城した遼太郎に労いの声がかけられた。
少なくとも相手が松永久秀でなければ、遼太郎も素直に喜んだことだろう。
だが、彼が相手では額面どおりには受け取れなかった。
どこか得たいの知れない怪しさがあるーー。
彼と相対するときには遼太郎の心の奥底で、常に警鐘が鳴り響いていた。

ともあれ無視する事は礼に失する。
「いや、運が良かっただけですよ。」
「はてさて、銀の鉱脈をを2つも見つけることが果たして運だけで片付けられますかな。 皆、貴殿の功績に騒いでいると申すに。」
まさに久秀の言うとおり、領内はこの噂で持ちきりだった。
ただの一つでも家中に巨万の富を齎す銀山を遼太郎は二つも見つけたのだ。

「殿はそなたに褒美を取らすご所存のようですぞ。」
賞賛ともやっかみとも取れる表情で、久秀はそう呟いた後、すっと立ち去っていった。

果たして主君晴元に目通りした遼太郎は彼から家宝「姥口釜」を与えられたのだった。家宝を譲られることは一端の士として認められた証でもある。


それに留まらず、細川晴元はすこぶる上機嫌で、家臣一堂に望みのままに俸禄を挙げる事を約束したのだった。晴元の長女・桜はそんな父の気前の良さに微笑ましく感じつつも、屈託のない笑いを浮かべる横顔を何度も見るうちに一抹の不安を抱くのだった。


経済力にやや余裕が生まれてきたところで、人事の刷新があった。
岸和田城の軍事奉行に山中竜之介が抜擢されたのだった。竜之介は遼太郎と北水館で机を並べた同門の士で、没落貴族の出という変り種だった。竜之介の大抜擢の裏には、遼太郎の功績もあったことだろう。だが竜之介は過程はどうあれ、与えられた役職でその才能をフルに発揮した。まずは埋もれていた在野の士の登用を初めとして、兵の増強に乗り出したのだ。
 
【2015/10/25 23:10 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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