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n076 夢幻の如く (蠣崎家)16
 蠣崎から北条氏政の亡骸が小田原城へ返されてきた。
「父上、父上、父上ぇ!」
 物言わぬ骸と成り果てた父・氏政を前にし、新当主として就任したばかりの北条氏直は男泣きに泣いた。そして一頻り泣いた後、彼は蠣崎家の殲滅を心に誓ったのであった。武士として気迫に欠ける若輩者として家中の者からも侮られがちだった氏直だったが、この時ばかりは、猛将綱成をして心胆寒からしめるほどの怜悧な目をしていたと言う。
 
 氏直の蠣崎への憎しみは大きく、周辺の諸将へと打倒蠣崎を呼びかけた。稀代の謀将真田昌幸と、父の代以来の勢力復権を希求する武田勝頼がそれに呼応し、かくして蠣崎を震撼させる包囲網が結成された。
 慶広は緊急の軍議を行うべく、結城城に主だった重臣を集めた。この時山中親子や伯楼は小田原征伐の為、半月も前に軍を進発させており、まだこの事態を知らない。
 「まさか氏直にこんな構想があろうとは・・・あやつめ、それほどの気概のある男だったのか。」
「父、氏政を殺されたことが彼に自覚をもたらし、武将として成長させたのでしょう。危機的状況に追い込まれることで『化けた』のではないかと。」
「氏政を討ったことがこんな結果を導こうとはの。北条攻めはもう少し慎重に行うべきであったか。」
「それがしの失態にございます。いかようなご処置をもこの一身にてお受けする覚悟はできております。お許し頂ければこの場で切腹仕る!」
「待て!早まるでない准太。そちほどの有能で誠実な家臣をこの大事の前に死なせたとあっては、我は末代までの笑いものよ。」
軍議は白熱すれども、とりたてて妙案が出される事もなく、
まずは包囲網結成により、前線の各城の危機が予想されることから、各城主には戦に備えるよう通達が出された。また後方の各城にはいかなる前線への支援をも速やかに行えるよう、兵站を整えておく旨が指示された。陳腐な対応と言えばそれまでだが、それ以外にどうしようもないのが実情であった。
 
 各方面の国境付近に武田や真田、北条の兵が展開されている報告が次々と入ったのは間もなくの事である。







いろいろあって蠣崎は日本統一を果たした。
 
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【2017/03/26 03:27 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n075 尾張統一(織田家)2
 
 さてご他聞に漏れず、中盤に差し掛かると、単なる作業になってきて今回も飽きがやってきました。そこで軍団を新設して地方統治をCOMに任せ、好き勝手にやらせることにしました。最早拙いCOMでも負けることはない国力差なもんで。
 東北の覇者・南部家を朝敵にし、同盟相手の上杉と手切れにし、孤立させました。


 その間、四国の松永家をCOMが攻め、あっという間に屈服させました。上杉を勧告で傘下に収めた段階で、南部家にも勧告出したら・・あっさりと陥落。まー確かにどうしようもないわな~。


 今回は征夷大将軍になってたんで、幕府エンドです。もうそろそろ天道も終いかな。
【2016/12/14 03:44 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n074 尾張統一(織田家)1

 久しぶりの織田家プレイ。もしかすると天道では初めてじゃないだろうか?
 とりあえずできるだけ史実になぞらえていこうか。
 まずは桶狭間。信長に敦盛舞わせましたぞ。


 義元討ち取ったりー!さらに清洲同盟で徳川と結ぶ。
 歴史イベント起こせば、本シナリオは織田家にはウマウマやね。


 んで今頃になって、弟の謀反。順番違うけど、よござんしょ。
 ・・と浅井と同盟結ぶの忘れてた~。足利家に浅井家が吸収され、大連合結成されて最早修復不可能。腹いせに領土拡張しまくって、包囲網結成されたけど、速攻武田を滅ぼした。とにかく鉄砲が強すぎて、耐久高い巨城とかでも関係ない。1.5倍とか2倍の兵力差でもひっくり返せる。さすがに謙信相手にした時は少々手こずったけど、それでも勝利はした。後付で、配下にした浅井長政に市を嫁入りさせましたとさ。
 残る敵(大勢力)は九州の大友家、四国の松永家、関東の北条家、東北の上杉家と南部家だ。
【2016/12/06 22:10 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n073 野望、再び(真田家)3

はい。・・というわけで天下統一です。
つーか、飽きた。

兵糧不足に苦しんだ後、さっさと軍団を解散させて、すべて直轄にし、各国の統治をやり直した。CPUめ、あちこちの水田を更地にしておいて、其の上放置だと!

兵糧の心配がなくなったところで、東日本の征服に向かう。うーん、後から思うにここで徳川と正面からぶつからなかったのは逃げだったかも。

伊達やら最上やらの有力大名を傘下に治め、人材豊かな家臣団に次々と技術革新と文化振興をさせ、兵も馬も溢れるほどに整えた上で、満を持して西進開始。

徳川を追い込み、本城の周りを櫓や砦で囲んで出られなくしてやったら、収入不足でどんどん羽柴家に家臣を引き抜かれて落ちぶれてしまった。

その羽柴も秀吉を討死させemoji、2代目秀頼を捕らえて処断しemoji、3代目秀次もやはり処断しemoji、4代目秀俊の時にとうとう屈服させた。同時に徳川家からは同盟を申し込まれて、家康の15歳の愛娘を幸村の嫁に寄越すならと条件突きつけたら、渋々だけどOKしてくれたemoji
 おかげで、横暴な父親の都合により常に戦場に身をおかせた優秀な息子にも、やっと春が訪れたemoji

・・・土壇場で島津が朝廷権限を駆使して、強制同盟を締結させられたところで、ほぼ萎えた。長宗我部を攻略したので、大坂牢人五人衆勢揃いさせられそうだったのに~。雌雄を決しても良かったけど、終わることにしました。羽柴を滅ぼし、徳川と手を結び、史実もびっくりの真田プレイでしたが、まあ楽しめたかな。
【2016/11/13 01:27 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n072 夢幻の如く (蠣崎家)15

  1591年の冬以降、常陸を訪れた者は、必ず3つのことに驚かされる。
 1つ目は度重なる改築の果てに生まれ変わった勇壮なる太田城。2つ目はその太田城周辺に、京の都でもお目にかかれないほどの、綺麗に整備されただだっ広い平地。3つ目はその平地の中に建立された大社と南蛮寺と五重塔という、本来相容れることのない水と油の関係の如き、異教文化の象徴が共存していることである。

 ことの始まりは僅か3ヶ月前の晩夏に遡る。居を太田城に構え直し、関東の覇権争いに本腰を入れ始めた慶広の元に、南蛮からの外交使節団が訪れたのが始まりだった。使節団の代表・ジョアンヌはかのルイス・フロイスから洗礼を受けたカトリック教の信徒であり、熱心な宣教師でもあった。彼は、各地の大名が蓄財に余念がないことを十分把握しており、実利を齎すポルトガルとの交易を手札として巧みに利用しつつ、本命の日本での布教活動を推し進めていた。戦続きの荒廃した世にあって、民の心を本気で救いたいと考えており、並み居る戦国大名の中でも高潔な精神の持ち主として噂される蠣崎慶広に取り入ることを決めてやって来たのだった。
  
「じょあんぬ?・・ふむ、南蛮渡来のものか。」
「はい、そのものが我ら蠣崎領内においての布教活動の許可を願い出ております。まずは伴天連の教えを広める為の根拠地となる教会とやらの設立をしたいとか。」
「しかし伴天連の教えとやらは良く判らぬ。南蛮寺の建立なぞ、そう易々と認めることはできんな。」
「では追い払いましょうか。」
「待て。南蛮人との交易は莫大な富を齎すと聞く。九州の大友とやらは一代で巨万の富を得ることが出来たとか。宣教師の話を聞くぐらいはしようではないか。」

 こうしてジョアンヌとの面会に応じた慶広は、彼の高潔性と彼の語る崇高な教えに感じ入りつつ、南蛮との直接交易が齎す莫大な利潤を皮算用しながら、教会の建設を約束したのだった。

 その数日後・・・ 
「禅宗の首座を務める徳庵和尚が目通りを願い出ておられます。我らが太田城の麓に民の安寧を願って五重塔を建立したいとのこと。徳庵和尚は季安寺の造営にも並々ならぬご尽力を頂いた御仁にございます。どうか無下にはなさらぬよう。」
 「分かっておる。だが南蛮寺の件で、許可を出したばかりじゃ。問題は無いか?」
「良いのではありませんか。一方ばかりを優遇しては角が立ちます。領内での活動は自由に行わせるが、特段の肩入れはしない。彼らがそれぞれ領民の心を慰めるなら良し。蠣崎の繁栄と発展に貢献するなら尚良し・・ということで。」
「なんだか節操がない気もするが、良かろう。」
 こうして徳庵和尚に五重塔建立の許可を出し、蠣崎家が全面に支援する旨を伝えたのであった。

 だが事はそれだけで収まらなかった。更に数日後、またも慶広の頭を悩ませる事態が生じたのである。
「殿!関東一円の神道勢力を束ねられる磐座大宮司が目通りを願い出ておられます。」
「磐座様が・・?今度は一体なんだ。」
「大社建立を願い出ておられます。おそらくは先の教会と五重塔の建立着手に、蠣崎家が古来よりの神道を蔑ろにし、南蛮勢力と仏教勢力の拡大を助長していると危惧されているのではないでしょうか。」
「馬鹿な。埒もない。」
「しかし南蛮宣教師や僧侶の願い出を容認し、宮司のそれは否認するとなれば、不満が生じるのも已む無きことではありませぬか。」
「ううむ・・政とはこうも悩ましきものなのか。」
 そして慶広は半ば立腹している宮司を宥め、大社の建立を約束させられたのだった。

 こうして蠣崎領では当時の世相にしては珍しく、信仰の自由が認められ、仏教・神道・南蛮の教えがいずれも虐げられることなく、自由に広まっていくのである。武家社会では掬いきれない不安や不満の種が、それらによって解消、解決に大いに役立っていくのだが、この時の慶広達は何もそこまで計算していたわけではなかった。単に一部の勢力を不満を抱かせることのないよう、政が偏りを生じさせることなく均衡を為すように、バランス感覚を重視し、腐心した結果に過ぎないのである。後に名君と誉れ高い慶広ではあるが、案外政のきっかけとはそういうものなのかもしれない。

 とにもかくにも、太田城周辺には教会堂、五重塔、大社が建てられた。南蛮、仏教、神道勢力のいずれにも配慮した結果である。また武家が彼らに必要以上に卑屈になったと取られないよう、遼太郎や准太は太田城の改築を進めることを提案した。立派な建造物が城下に3つもあるのに、肝心の太田城がみすぼらしくては威厳が保てないというのがその言である。
 慶広はその進言を是とし、太田城の改築を進めることにした。早速家臣団を四班に分け、城下町の整備、二の丸、城門、本丸の改築担当を作った。彼らは競うようにして、作業に取りかかり、秋が終わる頃には、三大建立物周辺の平地化や太田城の二の丸、鉄城門、三層天守の造営などが完成した。脅威としか思えないほどの手際の良さであるが、蠣崎家臣団の有能、領主との蜜月関係がもたらす領民の積極的協力、目前の北条家に隙を見せない必死・・等多数の要因があればこそである。逆に言うと、どれ一つ欠けていても本事業は、ここまで迅速に結果を出すことはできなかったに違いない。
 太田城と3つの建造物の建立は、蠣崎家の財力と宗教への寛容さを国内外に示すものとなり、その名声は高まる一方であったという。特に隣国の北条家は、前線近くでそれをやる大胆さに度肝を抜かれると共に、みすみす攻める機会を逸してしまったことに歯噛みしたという。
【2016/11/06 10:50 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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