

魏軍があまりに強大すぎるので、例え奮闘しても泥沼の消耗戦になるのが目に見えていたため、まずは蜀の猛将を吸収する作戦に出た。軍師の威名の中では、『巨魁』が最強!

巨魁を名乗ると使える『敵兵収奪戦術』は最凶の一言に尽きる


とにかく敵を攻撃するたびに兵が増える。しかも限界以上に!

海上戦で皆で矢を射掛けた日にゃ、開戦前には兵数が5万だったのに終戦後には8万に増えてたりして、なんじゃそりゃ~と笑いが止まらなくなったことも

おかげで連戦連勝して、あっという間に蜀軍を追い詰めましたとさ。


蜀の息の根を止める寸前で、一息ついて威名をコンプリートしとこうと思い、一度軍を解散させて、いそいそと条件達成に勤しんだ。・・・でもこれが良くなかったんだよな~・・後から思うと。一応、その間に友軍が蜀を滅ぼしたんだけどね。
ほんの少し、戦闘から離れている間に、うっかり忘れてしまったんだなあ。『巨魁』の凄まじさを、ね。


魏は曹操がおっ死んで、曹丕.が跡を継いだ。この時の戦力差は以下のとおり

魏 都市:33、武将:209、兵力:236万
孫権軍 都市:27、武将:146、兵力:99万、捕虜:36
随分と攻め込んで、捕虜も得たけど、まだまだ劣勢。


同志は関羽、甘寧、魏延、太史慈、超雲、張飛、馬超、凌統と逸材揃い。それでも敵の兵力が多すぎて一進一退をかなりの期間、続ける羽目になった。あちらの都市を取っては、こちらを取られの繰り返し。終いには防衛に手が回らなくなったりもして・・。
でも特権を駆使して、友軍に守らせつつ、とにかく敵の都市を攻め落とし、敵将をどんどん捕虜にしていく作戦を貫いた。いやあ、あちこちで戦が繰り広げられる様は壮観です。


いつ終わるとも知れない死闘を続けていたけど、黄河以北を荒らしまくった挙句に、ようやく都市数と武将数が逆転した。ちなみにこの頃、曹丕.が死んで、史実どおり曹叡が跡を継いでる。
魏 都市:28、武将:179、兵力:205万
孫権軍 都市:32、武将:185、兵力:130万、捕虜:67
兵力はまだまだ少ないけど、光明が見えてきたやんけ!・・と喜んだときに、ふと気付いた


あ、巨魁名乗るの忘れてた、と。ああああーーー!

敵兵収奪戦術使ってたら、はるかに楽やったのに~。威名コンプリート達成した際に、そのまま別の威名を名乗ったままにしてた~

無論、すぐさま威名を巨魁に変えた。


案の定、戦が楽になり、李恢軍はもう何年も遠征に出続けているのに、兵を一向に減らさず(むしろ増やして)、魏軍を追い詰めている。とうとう孫権は皇帝になり、国は呉となった。だが時既に遅し

李恢は大病を患い、あっという間に死亡

・・悔やまれるのは、やはり巨魁を名乗らなかった期間が長すぎたこと。あの頃の攻防戦で、相当時間食ったからな~。残念無念


親族の中で、子供があまりにも不出来揃いだったので、後継者は嫁の『姚月』にした。
この姚月、統率・武力は関羽と並べるほどの性能を誇っており、知力・政治はまずまずの生粋の武人。早速、都督に任命され、李恢軍の跡を引き継いだ。でも軍師プレイ中だからな~。巨魁目指して、しばらく条件達成に勤しむかな~。その間に魏に都市を奪われまくらなければいいんだけど。心配だなあ~

オールスターな同志たちが離れてしまったのは痛いけど、一から立て直すぜ!


この時の魏と呉の戦力差は以下のとおり。
魏 都市:21、武将:122、兵力:125万、捕虜:3
呉 都市:39、武将:199、兵力:163万、捕虜:87
呉が相当優勢になったけど、李恢を失った損失は大きい。頼む、姚月!頑張れ

頑張ってくれ~


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