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【2025/03/12 21:11 】 |
n044 信長元服 (細川家)10
北田義孝、香里夫妻に子供が生まれた。
 とても愛らしい男の子で、早々に元気な泣き声をあげては義孝をオロオロさせていた。小さな赤子に振り回されっぱなしの姿は、戦場や朝廷内での堂々とした立ち居振る舞いをする彼からはおよそ想像できないものである。
「こういう時は男って全く役に立たないものね。」と母親の逞しさを早速見せ始めている香里に呆れられるも、何も反論できずに頭を掻くしかなかった。
 

 主君・晴元も慶事を聞いて大いに喜び、祝いの品々を贈った。主君から立派な贈り物を頂いた新婚夫婦は大層喜んだという。
 
 
  細川家の強大化に脅威を感じていた武田晴信は隣国の斎藤家、上杉家に呼びかけを行い、武田家を核と成す大連合を結成した。思わぬ強敵が東に出現したことで、長慶は主だった重臣を集めて評定を開いたが、対細川包囲網の為に兵を長期に渡って酷使し続けてきた現在の状況では、新たな出兵を行うことは早々にできるわけもなく、前線となる小谷城を中心として東の守りを固くして敵の襲来に備えることが決したのみだった。


 評定ではその他に、遼太郎と竜之介、晴雅が新たな要職に就く事が決まった。武田家の脅威に対抗する為にも、細川家中の軍事的功績をほぼ独占している彼らの発言力をより高めようと、晴元が計らったのだった。三人は引継ぎを兼ねて、評定の後もしばらく京の都に逗留していたのだが、夜は毎晩のように北水館に通っていた頃の思い出を肴に酒を酌み交わすのだった。
 

「最近どーなんすか、竜さん。」
「どうって何が?」
「もートボケちゃって。咲さんですよ。昔から憎からず思ってたんでしょう。同じ近江の地にいて何も進展はないんですか?」

 昨今、小谷城の改築作業や城下街の開発が急ピッチで進んでいるのだが、竜之介は咲とたまたま同組の作業班になったことで、何かと一緒にいる時間が増え、ささやかな幸福をかみしめていたところだった。評定の為に京に呼び出されたことで、その幸福を霧散させる元凶となった武田家には、少なからず怒りを覚えている。
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【2015/11/06 00:28 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n043 信長元服 (細川家)9
細川家包囲網に抗すべく、各地の諸将は立ち上がった。優勢のまま進んでいた伊勢志摩戦線は霧山御所の陥落を以て終結した。また播磨の赤松家、北伊予の河野家は猛反撃を受けるとたちまち降伏した。元々単独では細川家に抗う意思も実力も持たぬ者達である。是非もなかった。


 包囲網を結成した敵の中でも最強とも言える長宗我部家にも最期の時が迫っていた。杉隆滋率いる一万数千の軍勢が昼夜を分かたず攻勢を仕掛け、隙を狙っては松永久秀の放った忍びが総大将・長宗我部元親の身辺を脅かした。


  河野家の降伏を受け、最早援軍も頼みにできない状況で、長宗我部家は粘り強く抵抗を続けてきたが、一ヶ月にも及ぶ篭城戦の末とうとう降伏した。しかし当主元親と数人の重臣は落城と共に姿を晦ませ、その行方は杳としてしれない。


 同じく東では観音寺城にちょっかいを出してきた斎藤勢が竜之介の逆襲を食らい、なんと一気に小谷城を陥落するという体たらくを見せた。しかも当主・斎藤道三が捕縛されるというおまけ付である。だが牢番の隙をついて逃亡した彼は無事に領国まで帰り着いたという。だが多数の斎藤家家臣がまだ牢に繋がれたままであり、道三は捲土重来を誓ったという。


 その頃東の強豪織田家では当主信秀が病に倒れ、うつけと名高い嫡男信長が跡をついだという。東に兵を進めるのに好機が到来したのかもしれない。


 国内では刀狩令が発布され、農民の反乱が抑制されると共に、彼らから集めた刀剣を溶かして百濟王神社大仏が建立された。近くには八幡宮も建設され、枚方は大いに賑わいを見せた。いずれ大社の建設も予定されているとの噂だ。
【2015/11/03 22:34 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n042 信長元服 (細川家)8
時はまさに乱世である。台頭してきた細川家を、決して他の大名たちは快く思っていなかった。珍しく三好長慶が緊張した面持ちで晴元に面会を求めてきた。
「・・・細川家包囲網が、形成され申した。」


 北畠家、赤松家、浦上家、河野家、長宗我部家が一斉に細川領内への進攻を始めた。だが細川家の主力軍は現在、六角家の拠点・観音寺城へ攻めている最中である。一刻の沈黙の後、晴元は彼らに攻城戦を継続させることにした。代わって、領内の城主たちに「各個目の前の敵に全力で当たり、持ち場を死守せよ。」との指示を下した。
 

 果たして、観音寺城を攻める主力軍が見事攻城戦に勝利した。ここに名門六角家は滅び、細川家は南近江を手中にしたのである。だが城の修復や周辺の防衛戦の構築など、戦後処理の為、数ヶ月は彼らは身動きが取れないであろう。領内の防衛に彼らを当てにするわけにはいかなかった。


 四国方面を任されている松永久秀は大胆にも、敵を自国領内までおびき寄せる作戦を取った。敵の兵站が伸びきったところを叩く作戦である。久秀は家臣から上がってくる報告を一つ一つ慎重に検討していた・・・。
 十河城の西には当主・河野通直自ら率いる河野勢が砦の攻略にかかっているが、お世辞にも戦上手とは言えず、細川家の兵と一戦交える前から、行軍中に随分と兵を減らしているようである。兵力は一万足らずであり、砦を落とすまでにまださらに兵を消耗することだろう。
 
 浦上家の兵の士気が低いことは事前に忍から齎される情報で判明していた。おそらく同盟国の手前、出兵する形式だけを取って義理を果たし、細川家の勢いを他国が削いでくれるのを待っているに違いない。おそらく大軍を持って、矛を交えればあっと言う間に逃走するだろう。深追いは避け、敵の退却を見て取ったら、すぐさま城に取って返し、西から来る河野軍に備えるのが妥当である。
 
 厄介なのは長宗我部軍である。兵の質量ともに脅威で街の一つや二つは一時的にくれてやることを覚悟せねばなるまい。だが勝瑞城の守りは固く、兵力でも圧倒的に勝っている。最終的な勝利は約束されているが、ただ待つことを良しとせず久秀は一万二千の兵を率いて一戦当たってみることにした。長宗我部の兵の強さを知っておくことは今後を思えば決して無駄にはなるまい。


 石山御坊では国境に砦や多数の櫓を建設して赤松家の攻略を手間取らせていた。消耗しきったところを城内から出撃させた迎撃隊で一気に壊滅に追い込む算段である。そして形勢は今の所、目論見どおりに推移していた。


 現時点で一番成果を上げているのは筒井城だった。押し寄せる北畠の兵を難なく蹴散らすと、そのままの勢いで伊勢志摩の霧山御所目がけて逆に進攻を始めたのである。霧山御所の守兵は少なくわずか8千程度であり、雑賀城から駆けつけた援兵を合わせれば2万にも及ぶ細川勢の敵ではないだろう。
 

 諸将が各地で奮戦する中、枚方城では城下の片埜神社に五重塔が建設され、その天高く聳え立つ荘厳な姿が民衆の喝采を浴びていた。まさに包囲網が結成されている状況とは思えぬ、晴元の振る舞いである。その余裕ぶりに民は安心を覚え、日々の生活を放り出してまで国外へ逃亡を図る者は少なかったという。仮に晴元の態度が虚勢であったとしても、決してそれを当人は認めなかっただろう。民や家臣の上に立つ者とはそういうものだと、彼は十分心得ているのだから。
【2015/11/02 14:35 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n041 信長元服 (細川家)7
洛中の復興が進む中、六角家の嫡男義賢と桜姫との婚儀の話が持ち上がった。提案したのは重臣筆頭・三好長慶である。長慶は遼太郎の意を全く介することなく、婚儀の有用性を家臣一堂に説き、主君晴元に決断を迫った。晴元は一旦評定を中断させ、後日決断を下すことを皆に約した。

「一体どーしたいんだよ、遼。」
「したいって何が?」
「親友の俺にまですっとぼけてんじゃねーよ。桜様の縁談のことに決まってんじゃねーか。終いには殴るぞ。」
「・・ててて。殴ってから言うなよ。どうしたいもこうしたいも桜姫が幸せになるならそれが一番さ。」
「顔も見たことのない男の元へ嫁いでいくのが果たして幸せだと思うか。」
「一介の侍に嫁ぐよりかは何ぼかマシな生活が送れるさ。」
 室町御所に用意された城代の部屋で、遼太郎は数多の部下からの報告書に目を通していた。
いつもの飄々とした掴みどころのない笑顔を浮かべながら、遼太郎はてきぱきと政務をこなしていく。
「・・まったく。心中はどうあれ、お前の手と頭はよく動くのな。呆れを通り越して感心するぜ。」
 竜之介が嘆息しながら、どかっと遼太郎の脇に腰を下ろす。
「なあ、遼。お前の桜様へのその程度のものだったのかよ。長慶の野郎の薄汚い策略で、ほいほいと他の男に奪われるのを黙って見ていられるのか。」
「・・・俺だって悔しいさ。諦められるわけないだろっ。ずっとお慕い申し上げてたんだぞ。」
「ふーん。だったら、なんでこんな所で大人しくしてんだよ。さっさと桜様に気持ちを伝えてこいよ。」
「そんなの無理だって。殿が手塩にかけて育てられたお方だぞ。俺みたいなもんが何を言ったって、無駄なんだよ。」
「言ってみなけりゃ分からねーだろーがっ!」
 怒りの闘気を放ちながら、音もなく立ち上がった竜之介の渾身の蹴りが、遼太郎の背中に叩き込まれる。
ぐへえ!と痛すぎて声も出せないほどの悲鳴を上げながら、遼太郎は涙目で竜之介を睨んだ。
「煮え切らねえこと、言ってんじゃねーよ。背中押して欲しいんなら、いくらでも押してやるさ。それが親友の役目ってもんだからな!」
「分かった!やめろ。お前のそれは『押す』なんて水準じゃねーだろ。・・全く、俺じゃなかったら一週間は寝込むぜ。」
「お前以外にはやんねーよ。さ、もう一発気合入れてやろーか?」
「いや、もういい。」
 遼太郎は手で竜之介を制しながら、すくっと立ち上がった。そしてすたすたと奥御殿へと歩いていった。
「ばーか。最初からそうすりゃいいんだよ。」

 桜は縁談の話を姥から聞かされてから、不安で胸が張り裂けそうだった。
父上は一体、どのような結論を出すのだろう。私は六角家へと嫁ぐことになるのだろうか。
遼太郎様のあの笑顔はもう見られないのだろうか。・・・知らず、桜の目から涙がこぼれていた。
土台無理な話とは分かっていても、できればいつまでも嫁ぐことなく当家に留まり、遼太郎と与太話に興じていたかった。
彼との時間がどれだけかけがえのないものだったか、今わの際にあって桜は悟った。
(私は心底、あの方に恋をしていたのだ。)
 その時、表の方から喧騒が聞こえてきた。
「お待ちくださいませ!中村殿。こちらより先は奥の間ですぞ。お立場を弁えなさりませ!」
「ええい、どけい。どかぬか。火急の時なのだ。後生だからどいてくれ!」

 遼太郎の声が聞こえた途端、桜は思わず部屋を飛び出していた。
 そして庭の真ん中で侍女達に群がられている遼太郎の姿が目に飛び込んできた。
「遼太郎・・様。」
「姫!」
 桜は履物も履かずに、庭へ飛び出し、遼太郎の胸へと飛びこんだ。
遼太郎は思わぬ出来事に目を白黒させている。こういう時、想像以上の行動力を発揮するのは実は女人の方かもしれない。

 一部始終を見ていた姥から報告を受けた凪は、遼太郎を咎めるどころかうれし涙を流したという。そして夫晴元へ事の次第を説明し、桜の幸せを第一に考えてやって欲しいと懇願した。それは六角家への輿入れを意味してはいない。
 晴元は熟考の結果、この一件に関して、家臣団に不満を言わせぬ為、持隆、長慶、久秀の三人に自身の保有する国宝級の家宝を惜しげなもなく分け与えることにした。いわば物欲を刺激して心を買おうという下衆なやり方ではあったが、この三人には最も効果的な方法でもあった。
 おそらく長慶も実は最初からこれが狙いだったのだろう。喉から手が出るほど欲しかったはずの茶碗をいかにも素っ気無く受け取ると、あれほどの論陣を披露していたにも関わらず、黙って引き下がり以降は何も言わなくなった。


 こうしていろいろと裏工作はあったものの、家臣一堂の賛同を受けて、目出度く遼太郎と桜が縁組することが決まった。
 婚儀は盛大だった。義孝や竜之介の余興に人々は笑い、晴雅の唄に女官たちはうっとりと聞きほれた。そして遼太郎と桜がにっこりと微笑みあう姿を見て、晴元は二人を結びつけた決断に間違いはなかったことを確信したのだった。


 年が改まると、室町御所の修復を終えた細川家は前年から遺恨のあった筒井領へと進攻した。竜之介は室町御所から出兵するとともに、石山御所にも援軍の派遣を要請し、伊賀大和の国境で合流することを定めた。途中、筒井家からの停戦交渉はあったものの、それを無視して軍を進めると、筒井家はあっさりと白旗を上げて見せたのだった。


 難なく伊賀大和の地を手に入れた竜之介は褒美に『大和守護』の役職を授けられると共に、八千の兵を率いることを許された。数々の武勲を上げてきた竜之介に対し、妥当な行賞であると言えよう。
 

 その頃、室町御所には不穏な空気が漂っていた。隣国斎藤家と六角家が示し合わせたかのように、大軍団を室町御所へ差し向けたの報が入ったのである。筒井家進攻により洛中の警備が手薄になった一瞬を狙ったものであった。御所の留守を預かる杉隆滋は敵到来の報を方々に送ると共に、洛中の周辺に砦をいくつも築き、時間稼ぎを図った。
 一方筒井城で修復作業に当たっていた竜之介は、洛中危機の報に接し、旧知の間柄である服部保長の元を訪れていた。
「久しいな、保長殿。」
「竜之介殿もしばらく会わぬ間に大した出世振りで。」
「いやいや。早速だが此度ここに参ったのはそなたの力を借りたくてな。」
「察しはついております。私欲に目が眩んだ斎藤と六角両家の軍勢の後背を我らがかき回せば宜しゅうございますな。」
「話が早くて助かる。この恩には必ず報いる故。」
 

 先の洛中攻防戦を上回るほどの大規模な戦が展開された。杉が建設した砦が破壊され、一時は御所の警備を空にしなければならないほどの激戦が繰り広げられたが、服部保長の伊賀忍者が斎藤勢と六角勢を撹乱し、石山御坊の援軍が到来すると次第に細川勢の優位は確たるものになっていった。杉はここぞとばかりに斎藤勢に追撃を行い、その大部分を壊滅させたところで、意気揚々と御所への凱旋を果たしたものである。此度の戦乱の結果、斎藤家と六角家はその兵力をかなり減らすこととなり、細川家の名声はますます高まることになった。


 細川家にはかねてから領内への南蛮宣教師による布教活動に寛容であった為、南蛮寺(教会とうらしい)の建設が至る所で行われ、領民の中にはキリスト教で洗礼を受ける者も現れ始めた。晴元は文化の多様性が広がることをむしろ喜んだという。
 
【2015/11/02 02:08 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n040 信長元服 (細川家)6
 洛中攻防戦が始まった。細川勢はほぼ北水館出身者で構成される枚方衆(根拠地は枚方城)が中心となって、京の都に押し寄せた。対する足利家は剣豪将軍・義輝が自ら剣を取って前線に立ち、抗戦を繰り広げた。文字通りの死闘が繰り広げられ、細川勢にも壊滅する隊が現れた。

    そんな中、隆滋の撹乱工作が奏功し、御所の守備兵が浮き足立った隙をついて、遼太郎の放った忍びが城内に侵入した。そして御所内の武器庫などの要所に次々と火を放っていく。
「御所に火の手が上がったぞ!もう駄目だ!」
 更に足利の手勢に扮した忍びが絶望的な悲鳴を上げて、周囲の兵に恐怖を伝播させていった。
それにより足利勢の一隊が壊滅したが、義輝の統率力所以か。一気に瓦解しないところは流石である。それどころか細川勢の一隊が逆に壊滅させられてしまうほどだった。
 

「流石だな、将軍の肩書きは伊達じゃないってか。」
「ふん。これから死す者に褒められてもうれしゅうないわ。」
 激しくうちあう義輝と竜之介の死闘はまだ決着がつきそうにない。
 その時、細川陣中から法螺貝が鳴り響いた。思わず振り向いた人々の目に映ったのは大きな黒い塊のようなものが洛中になだれ込んでくる様子だった。それは甲冑をまとった兵士の大軍だった。石山御坊からなんと1万もの増援が到着したのである。おかげで石山御坊はほぼもぬけの殻になってしまったが、そう待たずして岸和田城から守備兵が到着する手筈になっている。昨今勢いを増している重臣派に借りを作るのは癪だったが、背に腹は変えられない状況だった。この洛中攻略戦は枚方衆にとっていよいよ総力戦となり、この増援で押し切れなければ後がないため必死だった。
「援軍じゃあ。これで我らの勝ちは約束されたぞ!この勢いで一気に攻め立てろ!」
 遼太郎の指示で兵達が次々と己を鼓舞し、敵を煽りたてた。これまで一進一退の攻防が繰り広げていたが、ここに来てようやく細川方が優勢になりつつあった。義輝は竜之介との勝負に見切りをつけ、兵をまとめて御所の守りを固めた。ここが正念場とばかりに杉隆滋が兵達に檄を飛ばした。
「衝車を前面に押し出せ。弓隊は突貫隊の援護を行え。出し惜しみすることなく、すべての矢を打ちつくすのだ。かかれえ!」

 戦は最終段階に突入した。劣勢になってもまだ士気が下がらない足利勢と、死力を尽くして攻勢をかける細川勢との意地の張り合いのようなものだった。義輝は戦の前に全国の諸将に放った檄文が功を奏してくれることに最後の望みをかけていた。ここで守備を固めて戦を長引かせれば、管領細川晴元の名声は謀反人の名と共に地に落ちる。足利家に恩義を感じている大名が援軍にかけつけるかもしれない。例えそれが欲にまみれた者であろうとも。だが、残念なことに2ヵ月が経過しても足利方に援軍を寄こす大名は現れなかった。義輝は失意のうちに足利家のおかれている状況を再認識したのであった。義輝が和議を申し入れたのはそれから数日後のことであった。
 義輝の命と引き換えに、将兵達の命を救って欲しいとの申し出を遼太郎は突っぱねた。
「真の将軍たる器であった武人の生を散らすわけには私にはできません。義輝殿には恥を忍んで生きる道を選んでいただきたい。そうでなければ皆殺しにしますよ。」
 将兵の命を質にして、暗に義輝の自害を食い止めたのである。そしてそれが分からぬ義輝ではなかった。熟考の末、彼は細川家の軍門に下ることを決意した。ここに足利家は終焉を迎えることなり、洛中は細川家の支配下におかれることになった。

 
 義孝の工作もあり、朝廷からは、此度の戦勝に対して、細川家に労いの使者が遣わされた。さらにもし晴元が望めば公卿の斡旋で、全国の有能な士を召し抱えることも許されたのである。この戦国の世にあって、優秀な人材は全国のどこにでもいるはずだった。だがそんな彼らも伝手や運がなければ、仕官は敵わない。不遇の時を過ごしている者はたくさんいるはずだった。


 枚方衆が室町御所の修繕や洛中周辺の防衛に追われている頃、ようやく久秀ら革新派が讃岐の一揆を鎮圧した。荒廃した農村を復興させるにはまだまだ時間がかかるだろう。そして一門衆からは筒井家に寝返る家臣が現れて、ますます立場を悪くしていた。


 この機に乗じて今唯一勢いのある重臣派が、次々と自身の掲げる政策を展開し始めた。その一つが領内における「関所の撤廃」である。これが実現すれば、納税の義務を軽減された商人たちの交易が活発になるはずだ。そしてもう一つが「製図」を作成し、領内の細川家御用達の鉄砲鍛冶に配布することだった。強力な武器である鉄砲の生産技術はまだまだ未熟だが、製図が完成すれば生産力は飛躍的に向上するはずである。


 南蛮からの異教徒文化の伝来により、日本各地で「きょーかい」なるものが建てられ始めた頃、洛中では疫病が流行りはじめた。枚方衆もそれは例外ではなく、多くの将兵が病に倒れていった。
【2015/10/31 22:22 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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