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【2025/03/10 16:12 】 |
n056 夢幻の如く (蠣崎家)1

「し・ん・の・じょ・う様~emojiお待ちになって~~emoji
 今日も小麗が一回り年上の真之丞を追い掛け回している。資金不足が悩みの種だった蠣崎家だが、当主蠣崎季広の方針もあって、ここのところ商業への投資が盛んである。春・夏に行われた優遇政策により、商人町には移住してきた商人達による商館が立ち並び、蠣崎への納税額はそこそこのものになっていた。emoji
 しかし贅沢などは持っての他で、ようやく収支バランスが上向いてきた蠣崎家の家計を預かる北田真之丞としては、穀物庫に納められている年貢米を商館へ売りに行くのが日課となっていた。そしてどこをどう気に入ったのか、いつしか蠣崎家の一の姫・小麗が彼の傍にくっつくようになったのである。
 さて、蠣崎小麗というこの姫、日頃は超がつく高飛車で、金遣いも荒く、一説には蠣崎家の財政が傾いているのは彼女の金遣いの荒さによるとも言われている。

 内政・軍事・人材掌握のすべてにおいて名君と言われてもおかしくない季広だが、そんな娘を目に入れても痛くないほど溺愛しており、彼女を厳しく躾けられない点を指して「画竜点睛を欠く」と言っては酷なのかもしれない。
 しかしそんな手を付けようもない希代の猛女にして、猫のように大人しくさせることができるのが真之丞だった。彼の前でだけは人格が変わったかのように・・デレるのである。emoji

「小麗様。仕事に差し障ります。どうか城にお戻り下され。」
「そんなに照れなくても宜しくてよ。わらわがいくら希代の美女と言えど、真之丞様もそんなに引けを取らなくてよ。」
「・・・いろいろ突っ込み所がありすぎて最早何も言えませぬ。」
「そうそう、愛に言葉は不要。さあ、わらわの熱き抱擁を受け止めてくださいましっ。」
「お、おやめくだされぇぇぇ。」


「し、真之丞様も大変だな・・。」
 長期遠征任務を終え、ようやく徳山館に帰り着いた准太がいきなり目にしたのがこれである。疲れがいきなりどっと出た。
 

 そんな北方の地での些末時はさておき(笑)、中央では大事件が起こっていた。天下統一に最も近いと言われている男『織田信長』の家臣『明智光秀』が謀反を起こしたのである。すでに本能寺や二条御所といった要所を押さえた明智勢により、信長の命は風前の灯だった。
 
 
 事を察知した各地の織田配下の領主が救援の兵を差し向けるも、時既に遅く、信長は自害に追い込まれたのであった。


 大勢力を誇った織田家は四分五裂となり、当主の座を嫡孫・秀信が継いだものの、再び群雄割拠の様相を呈するのは誰の目にも明らかだった。


 そんな中、主君信長の仇を討つ為、羽柴秀吉が兵を挙げ、山崎の決戦にて見事光秀を倒したのであった。人々は忠義を万人に示した家臣の快挙に沸いた。
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【2016/02/21 15:44 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n055 信長元服 (細川家)21
豪雪の中、徳山館をほぼ一瞬で陥落させ、南部家は滅んだ。当主・南部晴政は業火の中で城と運命を共にし、幾名かの家臣もそれに殉じた。竜之介らは無益な殺生は行わず、可能な限り傷病兵らは保護している。同じ頃、岩城の相馬家に対し、細川家では降伏勧告を行い、当主・相馬盛胤は時勢を悟り、後事を子に託して隠居することとした。あわよくば同格の同盟者として地位を保ちたいと考えていたようだったが、天に二日なしである。もともと、相馬家からの同盟要請についても、当初からそういった思惑が透けて見えており、細川家首脳陣としてはそもそも同格としては取り扱っておらず、松平元信らに命じて岩城南部で示威的行動を起こしたのも効いたようである。

 かくして細川家によって全国は統一され、幕府による武家政権は終焉を迎え、帝を中心とする王政復古がなされることとなった。
 相対的に武士の地位が低下したわけではない。武家階級は残ったが、様々な層が今後の社会を支えていくのだ、という理念の下で再出発を図るのだ。貞観の治や建武親政の頃のような貴族主導の政治改革ではない。あらゆる層が参加しての社会改革である。


 永禄2年(1559年)。天下は平定された。
 細川家の天下平定を支えた二人の英雄たちはその後も政権安定のために尽力し、竜之介の驍勇と遼太郎の政略は長きにわたって後世に讃えられている。細川家主導でなされた王政復古はその後も継続され、また無闇な外征が行われることなく、日ノ本はその後も安定した世界となった。


 彼らとともに走り抜けた名将・美姫らの伝説も、多くの人の口の端に上り、彼等の英雄譚はひろく繰り返し謳われている。時に真面目に、そして時に面白可笑しく語られているのだ。

 茜の空に龍躍り 交野の空に麒麟舞う
 龍と麒麟とが舞い踊りしのち 黄金の野が広がった

 彼らの英雄譚は今も謳われている。


<完>
【2015/12/11 22:11 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n054 信長元服 (細川家)20
いよいよ本格的に南部家攻略が始まった。三戸城の攻略後、遼太郎、竜之介、晴雅ら主だった枚方衆の面々が陸奥に集結し轡を並べて、石川城、十三城といった南部方の出城の攻略に取りかかったのだ。南部家も蘆名盛氏や島津貴久といった名将に数万の軍勢を預けて迎え撃たせたものの、すべての戦に惨敗を喫し、ついに陸奥は細川家により平定された。
 遼太郎らはさらに十三城を拠点として、蝦夷への進攻の為に大船団の建造に取りかかった。船大工らによって慌しく、鉄甲船が作られる様を見届けながら、遼太郎、竜之介はこれまでの日々を振り返っていた。
「とうとうこんな所まで来ちまったなあ。」
「武士になったばかりの頃は、まさか天下の大軍勢を率いて、蝦夷の地を攻略するための作戦を練ることになるなんて思いもしなかったよ。」
「そうさなあ。大臣なんて肩書きもらって帝に言上したり、戦場で数多の名将を敵に回して駆け引きやったり・・いろいろあったよな。」
「細川家に仕官したばかりの頃は持隆様、長慶様、久秀様がそれぞれ派閥作って、細川家中で権力争いしててさ、新人の俺らにはとても出る幕なんてないって思ってたし。」
「あれから13年。無我夢中で働いてきたけど、もうすぐ夢が叶うんだな。」
「ああ、天下万民に安寧の日々を齎す・・ってやつな。」
「あんまり大それたことは言えないけど、それでも一人でも多くの人に笑顔になって欲しくてがんばってきたんだ。」
「この戦が終わったら、枚方で北水館のやつら集めてさ、派手に騒ごうぜ。」
「いいねえ。そういえばあの辺も最近は賑やかになってきてるらしいよ。出入りの南蛮人曰く、なんかジョーサイってのとセードウってのが建ったらしくてさ。連日、見物客でいっぱいみたいだ。」
「なんだそりゃ(笑)」
「ま、一度行ってみようよ。文化施設が一堂に介してる光景が見られるのも、他にないって話だからさ。」


 その後、大船団の建造を終えた細川軍は海を渡り、蝦夷の地へと押し寄せた。すでに南部家には彼らに抵抗できる兵はなかったが、当主南部晴政は再三の降伏勧告を受け入れず徹底抗戦の構えを見せたためである。遼太郎は示威行動に出るだけで済めば・・と願っていたが、やむなく出城の攻略にかかるよう兵に命じた。わずか千程度の南部兵が立てこもる城に数万の兵が押し寄せ、怒涛の如く攻城戦を展開した。結果、あえなく城は陥落し、細川方は蝦夷の地に橋頭堡を構えることができたのである。南部方の本城徳山館は目と鼻の先であり、すでに周辺の町も細川への忠誠を誓う旨を申し出てきている。


 その頃、小田原城では晴元が相馬領・磐城周辺の西川城、黒川城、太田城、宇都宮城に大規模な改修を命じ、守りを強化するように命じていた。また国境には砦や櫓を幾重にも建てさせていた。同盟国・相馬家に不審な動きが見られるとの情報を入手した為である。
【2015/12/06 06:03 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n053 信長元服 (細川家)19
失策が続き、苦戦を強いられたものの、何とか押し寄せる伊達・蘆名連合を撃退し、そのままの勢いで蘆名家と里美家を滅ぼすことができた。ようやく一息つけた晴元は細川藤考の献策を入れて、小田原城の大改築を命じた。
 

 この頃になると、細川家の威を恐れた大崎家、伊達家、安東家が次々と降伏を受け入れ、さらに相馬家が同盟を願い出てきた。先の蘆名家・里美家吸収時も含め、合わせて100人近い大量の家臣が一気に細川家に組み込まれることになった。伊達家の宿将となっていた武田晴信もこの時、過去のわだかまりを捨て、細川の軍門に下っている。晴元は思案の結果、東北の各城に彼らを配置し、北方の雄・南部家の攻略と東北の地の鎮撫に当たらせることにした。



 数ヵ月後には北田義孝らの懸命の働きの結果、小田原城の大改築が終了し、大阪城と並び日本有数の巨城の完成である。このことは関白・管領を兼務し、六百万の兵と枚方衆を初めとする数多の勇将・猛将・智将を配下に従え、名実ともに天下人と称されるようになった晴元の名声をさらに高めることになった。


 細川家の敵は南部家だけとなり、さっそく三戸城には、竜之介率いる精鋭3万が押し寄せた。防御施設も貧弱で、城兵もわずかしかいない三戸城が早々に落ちるのは火を見るよりも明らかであった。


【2015/12/05 10:33 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n052 信長元服 (細川家)18
細川方の一大反抗作戦により武田の支城が次々と落ち、残るは新発田城のみとなった。武田晴信は最後の一兵になるまで戦うほどの気概で最後の抵抗を試みたが、趨勢は明らかであった。すでに離反者が相次ぐ武田方の兵には、主君ほどの覚悟を以ってこの一戦に臨む者はなく、竜之介らの度重なる巧みな篭絡作戦もあって、投降者が相次いだ。武田家はほぼ自壊により滅亡したのである。武田方の諸将は細川に降伏し、許されて細川の末席に名を連ねることになった。だが晴信は頭を下げることを良しとせず、逃亡した。彼の行方は杳として知れない。またそれを知った風魔小太郎もまた隙をついて脱出し、姿をくらました。北条家を陰から支え続けた男が、何故晴信の動きに呼応したのか理由は誰にも分からなかった。


 武田という強固な壁を取り除いた先に見える東北は、有象無象の大名が覇権を争う混沌の地であった。この地に住まう弱小大名は細川に与するか、抗うか存亡に関わる究極の二択を迫られることになった。そして遼太郎のかねてからの調略が奏功し、まず佐竹家が細川の軍門に降ったのであった。


 竜之介は新発田城下の戦後処理中の隙をついて、領土拡張を狙ってきた伊達軍を追い払い、そのままの勢いで山形城を攻略するべく敵軍の追撃を続けた。だが国境を越え、北羽前の地に入った際、伊達家に協力する鉄砲匠の集団が住まう隠れ里が近隣にあることを知り、彼の地の制圧を優先するよう配下の将に伝えた。伊達の強さの源である鉄砲を奪うことは城ひとつを落とすよりもはるかに効果的であると踏んだのである。
 また米沢城攻めを命じられた佐々成政隊は、南羽前の地に入ったところで、蘆名家の援軍が接近中との報せを受けた。伊達晴宗の要請を受けて、米沢城攻略中の自軍の背後を付く狙いのようである。挟撃の窮地に立たされたはずの成政隊であったが、実は蘆名の出兵こそが細川方の真の狙いであった。成政隊の動きに連動して、宇都宮城からは織田信長が蘆名の根拠地である黒川城へと軍を進めているのだ。成政隊は反転して、蘆名勢を討ち、手薄になった黒川城へ信長が軍を進め、徐に外交の使者が訪れるという算段である。ただ信長には状況に応じて、進攻先を磐城や常陸に変えても良いとの指令もあった。関東平定の戦略は、遼太郎ら細川方の参謀により幾重にも編まれ、いかような変更にも柔軟に対処できるよう準備されているのであった。
【2015/11/29 07:13 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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