豪雪の中、徳山館をほぼ一瞬で陥落させ、南部家は滅んだ。当主・南部晴政は業火の中で城と運命を共にし、幾名かの家臣もそれに殉じた。竜之介らは無益な殺生は行わず、可能な限り傷病兵らは保護している。同じ頃、岩城の相馬家に対し、細川家では降伏勧告を行い、当主・相馬盛胤は時勢を悟り、後事を子に託して隠居することとした。あわよくば同格の同盟者として地位を保ちたいと考えていたようだったが、天に二日なしである。もともと、相馬家からの同盟要請についても、当初からそういった思惑が透けて見えており、細川家首脳陣としてはそもそも同格としては取り扱っておらず、松平元信らに命じて岩城南部で示威的行動を起こしたのも効いたようである。
かくして細川家によって全国は統一され、幕府による武家政権は終焉を迎え、帝を中心とする王政復古がなされることとなった。
相対的に武士の地位が低下したわけではない。武家階級は残ったが、様々な層が今後の社会を支えていくのだ、という理念の下で再出発を図るのだ。貞観の治や建武親政の頃のような貴族主導の政治改革ではない。あらゆる層が参加しての社会改革である。
永禄2年(1559年)。天下は平定された。
細川家の天下平定を支えた二人の英雄たちはその後も政権安定のために尽力し、竜之介の驍勇と遼太郎の政略は長きにわたって後世に讃えられている。細川家主導でなされた王政復古はその後も継続され、また無闇な外征が行われることなく、日ノ本はその後も安定した世界となった。
彼らとともに走り抜けた名将・美姫らの伝説も、多くの人の口の端に上り、彼等の英雄譚はひろく繰り返し謳われている。時に真面目に、そして時に面白可笑しく語られているのだ。
茜の空に龍躍り 交野の空に麒麟舞う
龍と麒麟とが舞い踊りしのち 黄金の野が広がった
彼らの英雄譚は今も謳われている。
<完>
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