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新野の面々が金の工面に頭を悩ませている頃、上庸では兵の補強と治安の悪化防止に血眼になっていた。とても調練にまで手を回せるようなゆとりはなく、新兵に与える装備はまだまだ不足している。年内派兵を目標に、ある程度の収支計算をしながら長期政策を立案実行してきた為、上庸でも余剰金がないのが実情だ。だが・・
「新野に軍資金、兵糧を融通する。」 開口一番、董清は皆を集めた会議の場でそう申し渡した。彼の決断は絶対命令であり、討議をしても結論が覆る事はない。そうなると何時、如何にしてというのが議論の焦点になる。幸い政策の立案の際に不足の事態を想定して、港の税収をあえて計算から度外視してきた為、それらが余剰といえば余剰である。次にそれらを輸送する時期と輜重隊長の選抜だが、来月の税収が国庫に納められた後、金と兵糧を劉辟が運ぶ事になった。 「黄巾上がりの俺に全権を委ねるってことかい・・?」 劉辟が冗談めかして言った。房陵港には現在上庸のほぼ一か月分の収入に匹敵する資金が貯蔵されている。もしも劉辟がそれらを猫糞するような事があれば、上庸にも新野にとっても大打撃だ。それを見越して、誰もが思う事をあえて自ら指摘したのだが。 「何か問題があるのか?」 董清は異な事を言うものだ、と不思議そうな表情をして問い返してきた。 「・・・いや、ねえよ。よっしゃ、銅銭1枚たりとも損ねずに間違いなく上庸に届けてみせらあ!」 胸に熱い物が込み上げるのを感じながら、劉辟は任せろとばかりに自分の胸を拳で叩いて見せた。 (董家の者でなければ、信を置かれる事などこれまで無かったのに・・・。) 蘭宝玉は猜疑心の強かった董清の成長ぶりに胸を撫で下ろしながら、政策の軌道修正を素早く計算し始めた。派兵が一月ほど遅れる事になるかもしれないが、そこはまあ許してもらおう。 劉辟が房陵港へと慌しく進発した。達者でな、との大和からの別れ間際の辞に、馬を駆けさせつつ、背を向けたまま手を振って見せた。この二人、豪胆な男同士で波長が合ったらしく、短期間に深い友誼を交わしたらしい。寂しくなるね、と蓬莱信に言われて酒を煽りながら「てやんでえ!」と返して凄んで見せた。案外、図星らしい。 もう一人の新野からの客人の魯蓮は上庸メンバーとも打ち解け、今日も市井の巡回に鬼龍や林玲と一緒に回っている。上庸中の人々に知られた顔になったが、まだ心というか記憶に響くものはない。庇護者の蘭宝玉からは『焦る必要はない。』といつも慰めてもらっているが、時折鬱屈した思いになるのは避けられなかった。 上庸では軍事政策が進展を見せ、兵士と同数の弩を揃えることができた。しかし当面の目標は兵・弩共に3万であり、調練に至っては全然追いついていない。軍備面での増強が新野より遅れた上庸ではそちらが急務だった。 月が改まり、県の貯蔵庫に税が納められた。董清はそれらを惜しげもなく使い、募兵に努めた。蘭宝玉、魯蓮に春風までもが加わって、上庸の男共を勧誘して回っている。物好きな母上だ、と苦笑せずにはいられないが、妖艶な彼女の魅力に惹かれる者もいて、あながち馬鹿にもできない。上庸周辺には大々的な募兵の知らせを聞きつけた人々で溢れかえっている。皆、食い扶持を求めて、方々からやって来た素性も知れぬ男達だ。無論というか、必然的に治安も下がりがちになるが、小まめな警邏によって、何とか高い水準を維持する事ができていた。もう少し余力があれば兵の調練にも手を回せるのだが、無い物ねだりをしても仕方がないので後回しにしている。ようやく完成した工房にも早く火を入れたいが、それもしばらくは我慢だろう。 趙雄が先々の事に思いを馳せていた頃、董清もまた同じような思索を巡らせていた。覇者たるもの、眼前の事だけに囚われていてはいけない。子に対して情けの一欠けらも感じられない糞のような父から学んだ数少ない教訓だ。人によっては足元を疎かにしてはいけないと言われるかもしれないが、董清の頭は宛攻略後の事を考えている。かねてからの提言通り、許昌にいる曹操と献帝を狙いたいが、先に主の定まらない汝南を新野の連中に押さえてもらい、自分は漢中を手中に収めて地力を上げるのも良い。 また昨今諸侯が競うように行っている技術革新についても、荊北同盟としてはまず何を導入するか・・・費用と人材を莫大に注ぎ込む為、上庸と新野でよく協議して取り組む必要がある。 「一度趙雄殿と会談する必要があるな。」董清もまた趙雄と同じような結論に達したのだった。 劉辟の乗る輸送船が房陵港を進発した。無論、目的地は新野である。陸路、水路のどちらを取るかは迷うまでもなかった。優秀な騎兵団を揃えた宛近くを通る陸路を選ぶのは自殺行為と言って良い。対して劉表傘下の中廬港はどうかというと、守兵を1,000人置いているものの軍官を赴任させておらず、襲われることはまずないと見て良い。よって水路を選んだ方が安全であろう。風の噂によれば、新野でも内政に力を入れ始めたようで、資金繰りは以前より格段に良くなっているようである。いつもギリギリの運営を行っている上庸よりも潤っていると言えるかもしれない。だが現状がどうあれ、受けた恩は必ず返すのが董清の信条である。劉辟と魯蓮という二人の良将を趙雄が気前良く預けてくれたおかげで、政策の進展が多少なりとも早まったのだ。それに金と米はいくらあっても困る事はあるまい。 PR |
「若、新野県庁より人材派遣の打診がありました。」
「県令殿はうちの内情をよく分かった上で、痒いところに手が届くような政をされるな。他者を顧みるなぞ我にはないことだ。見習われば成らぬ、同じ為政者としてな。」 「若の覇業はまだ始まったばかり。百戦錬磨の趙雄殿を真似る必要はありませんが、不足する点があるならば私や鬼龍殿がお支え致します。」 蘭宝玉はかって董清を教え子として諭していた頃のように、優しい眼差しで見つめた。昔から他者に厳しく当たる分、自分にはそれ以上にする子だった。董清が自身を厳しく律していることを皆知っているからこそ、彼の過酷とも言える指令を唯々諾々と受け入れているのである。 「派遣されてくる人材について詳しい情報はあるのか?」 「2名のようです。まずは黄巾上がりで昨今汝南で雇用された将が1名だそうですが、まだ確定していないようで。私としては資質的に群を抜いている劉辟殿辺りを要望したいと思っています。」 「調整は任せる。してもう1名は?」 「魯蓮と仰られる女性です。表向き県令殿の義妹御ということになっていますが、その実素性が分からない娘を県令殿が預かられているそうです。以前の記憶がないとか。」 「県令殿も酔狂なことよ。この乱世に人助けとは。だがそう思う私の方の器量が小さいということだろうな。」 「彼女については、私の邸宅で預からせて頂きたく思いますが。」 「良かろう。仮にも県令殿に縁あるお方だ。粗相のなきようにな。」 他、上庸での内政の進捗について2,3の報告をした後、蘭宝玉は退室した。農地の生産効率改善政策及び滞っていた兵舎の建設が始まったようだ。あとは蘭宝玉から申請のあった屯田制の開始、工房、魚市場等の建設が控えている。新野のように募兵と調練、兵装の充実も行わねばなるまい。課題は山積しているが、年が改まる頃までにはある程度形にしておきたいところだ。 上庸の政庁は下級官吏を残すばかりで、上級官吏は皆出払っているのが常だ。 先程もそれぞれ一仕事終えて帰ってきた鬼龍と林玲が、僅かな休息を取った後、今度は試験農場の開発をするべく政庁を後にした。 上庸の開発計画はもうすぐ最終段階に突入しようとしている。今の調子がそのまま続けば、秋の終わり頃には一通りの開発が終わるだろう。そうすれば収穫期の終わりに合わせて募兵や調練を開始できる。本年はまさに山場を迎えていると言って良い。 魯蓮と劉辟がわずかばかりのお供と共に新野を出た旨は、早馬により上庸政庁にも伝わった。しかし董清の命により、各上級官吏達は開発現場で引き続き陣頭指揮を取り続けている。 「歓迎の宴は先延ばしになるかね。」 「うちの上はそういう気遣いをしない連中だからなあ。」 下級官吏の噂話はともかく、魯蓮と劉辟にも着任早々、命が下される手はずになっている。まず二人には上庸の風土に慣れる必要があるだろう。最初の試練である。 秋が訪れた。今年上庸は五穀豊穣の神の恩恵に恵まれ、大豊作となった。 上庸着任後まもなく政務に就く事になった魯蓮と劉辟も満足そうな表情を浮かべている。特に魯蓮による市内巡察の効果は覿面で、見た目に油断して彼女にちょっかいを出そうとした小悪党が物の見事に叩きのめされてからというもの、あっという間にその噂は上庸中に広まり、悪党共は鳴りを潜めた。 新野からの客将が予想以上に有能で、蘭宝玉は胸を撫で下ろした。無能の役立たずと見なせば董清のこと、穀潰しの烙印を押して、上庸から叩き出していたかもしれない。 あと一週間も経てば市場や兵舎の開発も終わり、予定としては工房と練成所の建設を残すのみである。上庸都市計画は最終段階へ移行しようとしている。 新野より戦端を開く準備が整ったとの連絡が入った。だが残念ながら上庸側としては戦を始めるにはまだ準備が追いついていない。年の改まる頃にようやく形が整えられるか、という状況である。鬼龍としては、時が流れるのに任せているうちに宛や許昌で力を蓄えられては、新野側に申し訳ないという気持ちで一杯だ。そこで想定していた兵器開発を後回しにし、あくまで弩兵主体の10000程度の軍勢を用意する事にした。とにかく軍資金が不足しているのだが、房陵港にて相応の税収が上がっている事が分かり、それらを軍備に当てる事にする。いずれ軍監として幹部を赴任させ、上庸政庁に納付させる予定だ。 蘭宝玉と福貴は先日建設されたばかりの大鍛冶場の視察へとやって来た。 「蘭軍師様、7千強の弩が完成してございます。これで上庸の兵装庫にある2千と合わせまして。9千になりました。」 「まだまだ足りないわね。漢中の張魯を牽制しつつ、宛に攻め込むには3万は欲しいところよ。」 現場監督者が思わず絶句するのを承知であえて冷たく突き放した。ここの鍛冶場と隣の工房で作られる兵器が今後の董清の生命線となる。たかだか7千程度で満足されても困るのだ。死力を尽くすのは戦場だけではない。ここ後方でもそれぐらいの気概が必要だ。 上庸では、人・牛馬はそれぞれ仕事が与えられ、忙しくそして無駄なく働いている。建物も瀟洒ではあるが華美な意匠・装飾は一切施されていない。董清の意向を受け、蘭宝玉は乱世の都を作り出そうとしていた。新野からやってきた魯蓮、劉辟もよく働いてくれている。 気前よく良将を2人も寄越してくれたものだと趙雄には感謝している。まあいくら彼が善良でもタダという訳にもいかないだろう。物資や人材等相応の見返りはするつもりだ。 また新野県令・趙雄からの内々の頼みで魯蓮には積極的に上庸の巡察や兵の調練を頼んで、なるべく大勢の人や土地と接するように仕向けている。彼女の失われた記憶を取り戻す一助になればと思ったが、今のところ成果はないようだ。 上庸一帯に始めて兵を募る高札が架けられた。募兵担当が見目麗しい3人の女性将校だった事も相まってか、多数の応募者で溢れかえった。機知に富んだ蘭軍師は言うまでもなく、今や市井の警邏担当として顔が売れている魯蓮隊長、大人しげで保護欲を搔き立てられる林玲武官への人気は高い。 ただし動乱を見据えた様々なキナ臭い上庸の軍事中心の政策が噂を呼び、憂国の士だけでなく、素行の怪しげな連中までもが方々から集まってきた。無論、そうなると兵力増強とは裏腹に治安が悪化するのは避けられない。兵舎や練兵所が賑やかになる一方、市中では軽犯罪が増加した。董清は直ちに大和に取り締まらせたが不十分である。 そこで今後は月に2回募兵を行いながら治安を落とさないよう努めることが決められた。軍資金が尽きぬよう配慮しながら、兵装も月に1回ぐらい増産することにした。それを2~3ヶ月繰り返せば、それなりの形になるだろう。新兵を鍛えて精強にする事も忘れる訳にはいかない。開発は一段落したが、上級官吏らに休む暇はなかった。状況が許せば兵器の開発にも着手したいところである。 |
董清「屯田制とな。それは何だ?」
蘭宝玉「古くは武帝の時代に進められた政策です。兵士に新しく耕地を開墾させ、平時は農業を行って自らを養い、戦時には軍隊に従事させます。兵士自身に食い扶持を用意させるようなものですから、兵糧が枯渇する心配がなく、むしろ兵士を増やせば増やすほど農地は拡大し兵糧が多くなります。」 董清「兵力の補充は最終段階であると思っていたが、そういうことなら優先事項とした方が良いかもな。」 蘭宝玉「御意のままに。ただし徒な兵の増強は周辺に緊張を生みます。時機を見る必要はあるかと。」 董清「良かろう。では差配は任せる。よろしく頼むぞ。」 大鍛冶場が完成した。能吏の蘭宝玉が製造主任として携われば、一度に8千人分もの武器が確保できる計算である。上庸の兵達には様々な武器の中でも特に弩の扱いに長けている者が多く、必然として弩の製造を中心に行っていく方針が示されている。すでに鍛冶場には高い報酬に応じて専門の職人が近隣諸国より集められており、資材の調達待ちの状態となっている。 平行して行われていた春風主導の農地開拓も一段落し、品種改良により更なる生産効率の高い農地へと改良する試みが次月には成される予定だ。試験場の確保の為、耕作面積は一時的に半減するが、試験が完了すれば残り半分の土地も農地として活用されることになっている。 現在指導する幹部の人不足が悩みの種で、元鍛冶場だった空き地に兵舎が建設される予定だったのだが、監督者不在につき10日ほど放置されるという事態が発生した。董清はこのことに激怒し、現在上庸の幹部は単騎で各建設地の指導に当たることになっている。二人以上で一つの現場に当たる方が早いのだが、背に腹は変えられぬという判断により強行された。林玲などは慣れぬ市場改革に悪戦苦闘するも不平をこぼさず黙々と業務に当たっている。この頃の董清は為政者としての欠点も多く、過酷な指示を部下に強いていたのだが、奇跡的に上庸幹部が彼の下で纏まっていたのは、人材がまだまだ少なく董家に古くから仕える者たちばかりだったからという皮肉所以であった。 |
心地よい陽気が窓から光を投げかけている。季節の変遷に伴い、最近掛け布団を一枚減らしたがそれでもじっとりと汗ばむようになった。春風はゆっくりと身を起こして窓の外の様子を眺めた。ここのところ鬼龍も董清も福貴ですら、開発の陣頭指揮で忙しいらしく邸内は静かだ。少し前までは庭で鍛錬を積む鬼龍や董清の掛け声や、憎まれ口を叩く福貴の声が朝早くから聞こえていたというのに・・。ふと、自分だけが時間の流れから取り残されているような気がして、寂しくなった。
これまでの人生は、客観的に考えても激動と呼ぶに相応しいものだった。家族の生計を支える為、やむなく娼婦に身をやつした事も。皆から魔王と恐れられる男の目に留まり、荒波に飲まれる小船の如く、ただ求められるがままに受け入れたことも。男児を授かり、やっかみと羨望の中で子供を守る為にどんな仕打ちにも耐えたことも。魔王の死と共に、人々の粛清から逃げるようにして都を脱出したことも。すべては遠い過去のように今は思える。董清は父親に似て、強く自信に満ち溢れた男になった。他人に心を許さないところまで瓜二つだ。いくら本人が父親を否定しようとも、やはり血は争えないということか。 董家にいる間は、何もかも使用人たちがやってくれて、自分はまるで人形のように感じ、居場所がなかった。仕方なく董清に帝王学や兵法を教える鬼龍の授業をよく一緒に聞いたものだ。無論内容はさっぱりだが、寺の門番が経を唱えられるほどには覚えてしまった。 政治の場や戦場では何の役にも立たなくとも、迷惑をかけない程度には動 けるだろう。幸い護身用にと鬼龍から教わった弓の稽古は毎日欠かしていない。並みの男ならサシで戦っても遅れを取るつもりはない。 「私ばかり寝てるわけにはいかないわね。」 これまで散々苦い人生を生きてきたとは思えないほど、力強い声と共に彼女は飛び起きた。 許昌、長安、陳留いずれの地においても市街地の整備が進んでいることが密偵からの報告で伝わった。 鬼龍「趙雄殿からの使者の申すとおり、今徒に時を費やす事は曹操軍を利することに繋がります。性急に事を進めることが肝要かと。」 董清「ああ。だが上庸のような辺境の地ではなかなか兵が集まらぬ。今上庸の防備を捨てて、攻撃に全精力を傾けても動かせるのは1万が精々だ。漢中の張魯を牽制しつつ、軍を動かすにはまだまだ金が要る。兵糧との兼ね合いもあるゆえ、募兵は兵装等の準備が整った後に集中して一気に行うつもりだ。」 鬼龍「確かに。使者殿には『当地の事情を鑑みながら、迅速に事に当たる。』と伝えましょう。」 鬼龍「新野で鍛冶場が拡充されつつあるようです。」 董清「元々新野は槍専門の製造職人が多い土地柄だと聞く。鍛冶場を充実させれば、自ずと槍の献上数も増えることだろう。」 鬼龍「商人に身銭を切って購入することなく、兵装が潤うという訳ですな。羨ましい限りです。」 蘭宝玉「ここ上庸とて、馬鹿にしたものではありませんよ。昔からここには兵器の開発に長けた者たちが多く住んでいます。工房さえ作れば、きっと彼らの協力を得て、安い費用で良い兵器を作る事ができるでしょう。」 鬼龍「そういえば春風様が最近農場を耕しておられるようで。ご母堂自ら鍬を振るっていると、兵や役人達の士気も上がっております。」 董清「自分ばかり楽をしておられぬとの仰せだ。元々後宮でひっそりと暮らすような性分ではいらっしゃらなかったがな。」 苦笑しつつ、董清は新野から連絡のあった人材名簿に目を通した。確かに黄巾の残党上がりの者達が汝南にはいるようだ。だが武辺者ばかりで趙雄が頭を悩ませるのも無理はない。しかし・・・。 董清「来る宛攻略時に留守居役が必要となる。この劉辟という男は、大勢力となった曹操に抗う姿勢を辞めぬ気骨の士だ。彼を旗下に加えたいが。」 鬼龍「残念ながら我らは魅力に欠ける鼻つまみものばかり。登用に応じてもらえそうにありませぬ。ここは一つ新野側にご依頼されてはいかがでしょう。」 董清「良し、頼んでみよう。」 まもなく鍛冶場の建設が完了する。さらに董清はそれらを集約させて生産効率の高い大鍛冶場を完成させるつもりだ。空き地には兵舎を建設し、それらも同様に集約させる。余った土地には工房と魚市場を建設予定だ。大和は長江の旨い川魚を毎日食べられるようになると喜んでいる。彼自身の食欲はともかく、上庸の民の食卓が潤うのは良いことだ。治安は兵士の順回数を増やし最高水準で維持されているし、市場の建設は最終段階に入った。春風が携わる農耕地の開拓も恙無く進んでおり、民は真面目に働きさえすれば三度の飯にありつけるようになった。今が戦乱の世でなければ・・・蓬莱信はそう思わずにはいられない。今が戦乱の世でなければ、上庸は山と川の幸に恵まれた豊かな都市になるだろう。だが戦乱の世でなければ、董清のような男に日が当たらなかったことも事実である。 彼は今蓄えた富をさらなる野望の拡大の為に使おうとしている。そして新たに得た土地の資源を使ってさらなる領土拡大を進めるのであろう。あくなき野望の果てに何が待っているのか。彼女には分からない。しかし一度主君と定めた男に、彼女は一生付き従う覚悟はできている。そう、無実の罪で処刑されかかったところを救われたあの日からずっと。彼は冷徹だが、冷酷な男ではない。願わくば彼の野望の果てに、民の幸福が待っている事を切に願わずにはいられない。 |
鬼龍は新野から帰参すると、真っ直ぐに主の下へ訪れた。
董清「そうか。新野も着々と戦の準備を進めておるのだな。」 鬼龍「はい。新野は軍資金・兵糧・兵力・将の数、およそあらゆる面において上庸よりも勝っております。趙雄殿の非凡さが良く分かりますな。 董清「非凡なのは県令殿だけではあるまい。良い部下に恵まれている。」 鬼龍「それも含めて趙雄殿の功績ということでしょう。・・・時に紀横殿が若の事を案じておられました。」 董清「どういうことだ?」 鬼龍「若が旧知の者達との戦いに気後れなさらないかと。」 董清「張繍に賈詡・・・確かに父の部下だった者達だ。だが、それだけだ。我が覇道の前に立ち塞がるのなら、踏み越えていくまで。」 鬼龍「それを聞いて安堵しました。ですが張繍殿は御父君の軍にあって、唯一今尚精強に磨きを掛けておられるお方。加えて、賈詡殿は大陸最賢の呼び声も高い。手強いですぞ。」 董清「尚更良い。彼奴らを倒して、我が軍の武勇を全土に轟かせてくれよう。彼奴らが軍門に下るのであれば言う事はない。」 来るべき宛攻略に向けて準備が進められている。上庸では市場の整備が第一とされ、次に兵装を整えるための鍛冶設備の建設が大和・鬼龍兄弟の主導で始められた。また林玲による兵士の調練も並行して進められている。趙雄が軍備増強に舵を切ったことは新野からの使者により、董清にも伝わった。上庸でも今後の方針について検討されたが、あくまで市場の整備を優先する事が決定された。隣接する張魯、張繍は未だ大規模な兵力増強をする様子は見られず、長江を挟んだ劉表、遠い長安に駐屯する曹操軍もまた同様である。よってまずは全てにおいて必要不可欠な軍資金の確保を優先事項として選んだのである。仮に余剰が生まれたとしても、その場合は新野へ融通すれば良いだけのこと、と董清は考えている。 後の課題としては……。 「人的資源、か。」 やはり董清も趙雄と同じことを考えていた。だがその結論に至るまでの志向が野心溢れる董清は異なっていた。新野や上庸の専守防衛だけを考えれば事足りる。しかし今後領国を増やし諸勢力と覇を競おうとすれば軍事、内政の各方面において、まだまだ駒が不足しているのだ。別方面の戦を完全に任せられるだけの司令官とその配下の将軍・参謀達・・そういった人材を早急に揃えたい。その為には巴蜀か中原か江東か、まずはどの方面の攻略に取り掛かるか旗色を鮮明にする必要があった。何故か西進や南進することに心が躍らない為、曹操との対決姿勢を打ち出すことを部下や新野県庁には提示してみせたのだが。その心境は彼自身にもよく分からなかった。 (弱者のうちから強者に挑むか。ふっ・・血と炎の7日間の再現という訳だな。) 一瞬、何者かの声が聞こえた気がした。董清は思わず席を立って周囲を見渡す。だが人の気配は全くなかった。いや違う、先程の声は耳からではなく、頭に直接響いたような・・。 「もう酔いが回ったか。」董清は一人ごちて机上の酒瓶と肴を片付けた。 |