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天水所属の武将は太守・成公英を除けば、成宜のみであり、彼は陽平関に釘付けになっている。天水には実に2万もの兵が駐屯しているが、指揮を取れるものが成公英だけではその力は半減以下であろう。 一方、陽平関には捕虜同然の将が10人もいて、その中には最近仲間入りを果たしたばかりの馬雲緑もいる。いくら策略に嵌ったとは言え、兵站を顧みず幾重にも無謀な進攻を繰り返したことは愚かとしか言いようがない。 来週には大和と鬼龍兄弟及び魯蓮、その翌週には総帥の董清と妻・福貴が到着する。進攻ルートは今のところ漢中より西の桟道ルートを取る予定だ。あくまで成宜には陽平関に注意を向けさせておき、天水の救援に向かえないようにしたい。長安を曹操軍から奪取して以来、増長を続けてきた馬騰軍にとって悪夢のような日々があと一ヶ月ほどで始まる。 大和、鬼龍、魯蓮達第一陣が漢中入りを果たした。鬼龍は早速、矢継ぎ早に指示を出し始めた。来週董清が漢中入りを果たす迄には、戦支度を終えておきたかった。上庸からは林玲率いる輜重隊があと数里という所にまで迫っているとの報が入った。久しぶりの再会を寿いで酒宴を催すのもいいかもしれない。 漢中に福貴と共に到着した董清は早速兵の鍛錬を直接行うことにした。檄を飛ばしながら、部隊連携の指揮を取っていると、大和、鬼龍兄弟と大きな包みを抱えてやってきた。 「何だ、それは?」 「南陽公からの頂戴物です。まあ、まずはご覧下され。」 鬼龍は包んでいた布から中の物を取り出して、董清に見せた。 「ふむ・・・方天画戟か。懐かしいな。」 「お察しの通り、呂将軍の得物として有名です。ただ添え状によるとこれは武威の職人が作った別物のようですが。」 「真偽はともかく中々の業物だな。だが俺は戟の扱いは少々不得手だ。お前達が使うか?」 「俺達もどっちかというと得意分野じゃありませんや。」 「ではどうする?蔵で眠らせておくのは惜しいな。」 「あいにく我が軍の武将は弩の扱いに特化している者は大勢おりますが、戟となると・・・おっと一人いましたな。」 「誰だ?」 「魯蓮殿です。以前稽古中に仕合ったことがあるのですが、彼女の戟の腕は中々のものでした。」 「良いだろう。では宅に運んでおけ。」 「それにしても彼女は一体何者なんでしょうねえ・・?」 ある日、魯蓮が漢中内に与えられた彼女の家に巨大な戟が竹簡と共に置かれていた。竹簡には『やる 董』としか書かれていない。 到底女性への贈り物としてふさわしくない代物を見ながら魯蓮はくすりと笑った。『英雄色を好む』を地で行く董清だが、さすがに魯蓮に手を出す気はないらしいことがこの品を見てもよく分かる。面と向かって口説かれたことはまだない。趙雄の下からやってきた客将であることに加え、福貴や蘭宝玉の厳しい監視があるので行動に移せないだけかもしれないが。 魯蓮が何気なく卓の上に置かれた方天画戟を握ると、突如彼女の体に電撃が駆け抜けたような錯覚に陥った。 (この感触に覚え・・・が・・ある?) おそらく方天画戟そのものではないが、これと似たような業物を自分は扱っていたのではないか?まるで兄弟の親近さに触れるような思いで、魯蓮は方天画戟を軽々と振り回した。 霹靂車の開発が江州の地にて始まった。巨石を広範囲に放てる兵器開発に成功すれば、攻城の際に大きな力になることは間違いない。報告を聞いて、董清は満足そうに頷いた。上手く行っても完成まで3ヶ月超かかるとのことだが、天水攻略に間に合うかどうか。漢中の兵は今や質量共に満ち満ちて充実している。董清の号令がかかるのは間もなくのことである。 永安での開発に目処が付きつつある。市場と農場の開発の陣頭指揮を執る前に、蘭宝玉は手の空いた者達に対し、上庸へと向かうよう指示を出した。現在研究中の霹靂の大実験場を上庸に建築しようと考えている。そこで行われる実験の数々が今後の我が軍の様々な研究に良い効果を与えることは間違いないだろう。 PR |
成都の復興が最終段階を迎えた。貨幣の統制を行う造幣局が完成すれば終了だ。長かった成都勤務がようやく終わり、春風は董清達のいる永安に赴くことになっている。今や益州の資金及び兵糧の収益力は相当なもので、西涼や長江流域での戦役は仮に十数年に及ぼうとも十分賄えるぐらいになっている。そうなると南蛮の開発は自然と急務ではなくなってきている。南蛮の統治に当たらせている劉璋達には、精々己の食い扶持の確保と、叛乱なぞ起こされぬよう治安の維持に努めてくれれば良いかとさえ感じてきていた。
それよりも董清は段々と戦の虫が疼くようになってきていた。やはり自分は武人である。 永安で第2次開発計画が始まった。一度作られた市場や農場が更なる収益力向上の為に再構築されていく。それと同時に西涼戦線における作戦が練られ始めた。幸い、漢中攻略作戦の再三の失敗が元で馬騰軍に往年の勢いはない。上庸と漢中の兵と兵糧があれば、一気に4都市陥落させることも夢ではないだろう。思考を巡らせる董清の顔つきが段々と不敵なものへと変わっていった。 成都に続き、江州も開発の最終局面に入った。永安も建寧も概ね良好に推移している。雲南の開発が一向に進んでいないと報も入ってきているが、遠隔地の為事細かく指示を出せるはずもない。あまりに現地の担当者が怠慢しているようなら更迭もやむなしだろうが、今しばらくは様子を静観することにしている。 「永安の開発が一息ついたら、西涼攻略軍参画者には漢中に移ってもらう。」 急ピッチで開発進行中の永安城内の太守の間には主要幹部が顔を連ねていた。 「鬼龍、大和、福貴、魯蓮はいつでも行ける様支度を整えておけ。」 董清の命を受け、早速私室へと戻ったものの、大して多くもない荷物の整頓を早々に終えてしまい、床についたは良いがいつになくなかなか寝付けない為、魯蓮は夜の永安城内を散策する事にした。 城内で哨戒の兵を除けば誰も自分のように徘徊しているものはいない。皆昼の労働で疲れているのだろう。ふと空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。 「綺麗・・。」 無駄を嫌い効率よく成果を上げる事を求める董清の下に来てからは、常にばたばたしてゆっくり夜空を眺める事をしていなかったように思う。 民の笑顔を見たいが故に、董清達の期待に応えたいが故に、ひたすら頑張ってきた。そして、いつの間にか記憶を取り戻せなくて、うじうじしていたことなど忘れてしまっていた。 「あ~あ~。別に過去のことなんてどーでもいーよね~。」 今の自分を必要としてくれている人たちがいる。確かに充実した幸せな毎日を送っていると自負できる自分がいる。それで十分ではないか。夜空を久しぶりにゆっくりと眺めているうちに何だか悟りを得たような気になった。なんだか気持ちが晴れやかになった。この分だと寝床に戻ればすぐにぐっすりと眠れそうだ。部屋に戻ろうと踵を返しかけた時、突如魯蓮の視界が真っ白になった。 (・・・・痛ッ!) 頭に激痛が走ったような気がした。そして自分が騎乗の人となって、同様の女性達と楽しげに併せ馬をしている光景が一瞬見えた。 (え?誰?) ある日、大和と鬼龍兄弟が神妙な面持ちで董清の執務室へとやって来た。 「俺の世間的評価が低い?別に構わんさ。」 「いや、しかし若よりも我々の方が官職が上というのもどうにも・・。」 「ふん、世間体なぞどうでもいいがな。だが、お前らに苦慮させているというのも分かった。で、俺は何をすればいいんだ?」 「城を落として頂くとか、技術開発に成功して頂くとか、地道に輸送を繰り返して頂くとか・・。」 「差し当たって、今甘寧殿達が進めている投石開発が終了すれば、次の段階の霹靂開発の担当者に名乗りを上げられてはいかがでしょう?」 「それが良い。開発に適した人材が集まりやすいよう、上庸の空白地に人材府を建てましょう。普段は彼の地で都市と港間の輸送を担当して頂いて・・。」 「霹靂車が完成すれば、効率的運用の実験官になって頂くのも良いですな。石塁を配置してそこに霹靂攻撃を只管行った成果を纏めて頂くのも、世間的に目に見えやすいかと。」 「おいおい・・・お前達勝手に盛り上がるな。」 かくして『若様、世評向上大作戦』が秘かに始まろうとしていた。 「面倒だ。却下する。なぜ俺がそこまでせねばならん。」 当初は鬼龍や大和にあれこれ言われて、功績を上げる努力をしようとその気になっていた董清だったが、たった一週間ですべてを引っくり返した。 「益州も南蛮も復興できたならそれでいい。開発に躍起にならなくて良い。ヨシ、今の開発が終了したら西涼に向かうぞ。」 武人としての血が騒いでならぬらしい。いや人気取りに現を抜かすことがそもそも性に合わない行為なのだろう。ひたすら耐えて内政にも邁進していたが、ここらが限度だったようだ。 益州及び南蛮に駐屯する軍団を董清は再編成した。漢中と永安のみを直轄地とし、その他は統括者を定め、完全に治世を委任することにしたのだ。これはそう遠くないうちに軍事行動に出ることの意思の表れであった。上庸にいる兵士を漢中に集結させるよう林玲に命じたことからもそれは分かる。馬騰軍との対決の時が迫っている。 「では行ってくる。」 董清と福貴がわずかな供回りと共に漢中へと旅立った。到着は一ヵ月後になるだろう。先行している鬼龍と大和が漢中入り後、董清達が来るまでの間に戦支度を進めておく手筈になっている。 「ご武運をお祈りしております。」 蘭宝玉は永安を後方基地として完成させるという任務を背負っていた。本当は董清と共に漢中へと行きたかったが、誰かがやらねばならぬことである。今回は我慢することにした。前線を担う者達が後顧の憂いなく戦えるよう、後方を整えておくのも大事だろう。 そう言えば荊南に潜ませていた間者より孫家の船団を目撃したとの連絡が入った。最後の空白地帯・零陵へと舳先は向いていたとのことである。趙雄に一報しておいた方が良いだろう。 |
益州平定が完了した。長らくの遠征生活に早々に終止符を打ちたいところではあるが、度重なる戦乱で荒れ果てた永安の町を放置する事はさすがにできない。董清は自ら市内巡察を行い、不逞の輩を一網打尽にした。また自軍の兵が民に狼藉を働いた場合は誰であろうと容赦なく斬って捨てると全軍に通告している。それらの施策を行っただけで、劉璋軍が占拠していた時よりも格段に治安が良くなり民は喜んだ。
上庸の地では新たな井蘭が完成し、太守・林玲が宛へと輸送する計画を立てていた。「弩2万3千弱、衝車1、井蘭3。宛へ。」 「宛の膝元である武関が孫家の管理下にあるというのは頂けませんね。弩兵隊か井蘭隊と制圧部隊を連携させ、孫策軍が陥落させる前にこちらで制圧すべきでしょう。」 「長安についてはいかがですか?」 「勝算があるのならば、出撃に賛同します。董清様以下は益州平定されてからまだ間がなく、戦後処理に今しばらく時を費やしましょう。よってすぐには西涼や長安へ軍を出すことは叶いません。宛単独で、ということで構わなければ。」 「益州といえば、劉璋たちの処遇は?」 「とりあえず自治権を与えておきます。雲南の制圧も命じておきましょう。正直南蛮のことまで、とても手が回らないというのが本音です。もし趙雄様が直轄におかれるというのなら、異論はありません。人材の有効活用もお任せします。」 漢中軍は益州全土の戦後処理に忙しくしていた。現在は主に成都、江州、永安での復興作業に注力している。董清も自ら剣を鍬に持ち替えて、耕作に精を出していた。陽平関では餓えに苦しむ馬騰軍が自滅の道を邁進している。漢中軍が一兵も損ねることなく内政に専念している間に、馬騰軍はかつて曹操軍から長安を奪った時の勢いを完全に失っていた。組みし易しと安易に荊北同盟に手を出したばかりに馬騰は没落へと突き進んでいる・・・まるで往年の曹操のように。 「あーもう見てらんないわね。」 建寧での意味不明な施策実行ぶりに業を煮やした蘭宝玉がわずかの間に前言を撤回し、建寧を直轄地に置く事を宣言した。劉璋の愚鈍さが腹に据えかねたのであろう。代わりに開発が終了している上庸と梓潼を太守に一任することにした。成都の開発計画もかなり進んでいる。あとは江州、永安、建寧、雲南を後方基地として整備できれば言う事はない。 趙雄が孫家を出し抜いて、上手く勢力拡張を図っている頃、益州では地道な開発が続けられていた。転戦に告ぐ転戦の連続で、心身共に休む暇のなかった今回の遠征で少なからず疲労が蓄積していた漢中軍にとっては図らずも生まれた機会である。正に僥倖と言えよう。 益州の復興は順調に進んでいる。殊更劇的な展開があろうはずもなく、まさにのどかな日常が続いている。ともすれば戦乱の世である事を忘れてしまいそうになりそうな時の中で、董清達は鍬を槌に持ち替えて、今度は市場の開発に勤しんでいた。内政が一段落したら、技術開発に精力を注ぎたいと蘭宝玉は考えていた。軍制改革を試みるもよし、いつぞや周信から報告のあった投石兵器というのも面白そうだ。弩兵が主体となったわが軍においては、強弩の開発も有効だろう。まずは趙雄に話を通してみよう。 「益州復興に目処が付いたら投石機の開発に着手するとしよう。」 趙雄からの意見書に目を通し、董清は傍らの鬼龍に告げた。西涼の攻撃には是非、投石機を持って行きたいものだと思う。かの地にいる騎馬民族はどのような反応を示すだろうかと思うと、少々愉快になった。もしそれを船団に積めば、孫家に負けない水軍を創設できるのではないだろうか。水上からの攻撃を活用すれば、大兵力を有する柴桑や江夏とて瞬く間に攻略が可能かもしれない。 劉陵の読みどおり、孫家と曹操軍は遭遇こそしたものの、小競り合いを行ったのみで、大きな衝突はなかった。同盟を組んでいるとは言え、やはり孫家は自軍優先のようだ。抜け目ないというか信用できない。いや陳留やら武関やらを眼前で掠め取っておいて、こちらが言うのもなんだが。 兵糧の確保を重視する余り、農場の開発を優先していたのが仇となったようだ。永安で軍資金が枯渇気味になっていた。おそらく来月の徴収で間に合うだろうが、政をぎりぎりの所で行うような危ない橋は渡りたくない。董清からの要請を受けて、蘭宝玉は急ぎ江州にいる魯蓮に輸送を行わせることにした。魯蓮は・・というと、未だ記憶が戻っていないが、本人は全く気にしていないようだ。むしろ屈託なく明るく過ごせるようになってきていた。益州の料理や文化を初めとして、日々の暮らしにも慣れてきたのだろう。もしかするとこちらの出身か?とも蘭宝玉は考えたが、確たるものは何もない。とりあえず魯蓮は命を受けて、颯爽と永安へと旅立っていった。 「なあ、俺らって何か地味じゃね?」 「そう言うな。市場開発も立派な仕事だ。」 「でもなあ、片や名将と華々しい一騎討ち、片や槌持ってエンヤコラサッサじゃなあ。」 「充実した後方支援あってこその前線の活躍だ。趙雄殿や若はその辺の評価はきっちりしてくれるだろうさ。」 永安で黙々と大工作業に耽る義兄弟の他愛もない会話である。成都や江州での開発は終盤に差し掛かっており、永安もほぼ第一段階が完了したところだ。人財を集中すべき箇所に注ぎ込むのをヨシとする董清軍にあって、目下のところ今は永安が核となりつつある。当面は内政中心というのが政策の基本方針なので、武官からすれば槍や弩の代わりに鍬や鋤、槌を持つのは忸怩たる思いがないと言うと嘘になろう。とは言え董清の命は絶対であるので反論する者なぞいようはずもない。ただ陳留での活躍の報が聞こえてくる度に溜息が聞こえてくるのは 仕方がないことかもしれない。 「若、趙雄殿が公に封ぜられたようですぞ。」 「そのようだな。」 「それに引き換え、若は無位無官。宜しいのですか?」 「俺は他人から与えられる爵位や官爵に興味はない。だが、お前達がそれなりの官爵に付けるよう上奏しておこう。有益なものであれば、何であろうと使い切れば良いのだからな。」 「確かに官吏の中には爵位や官爵の有無で態度を変える物がおるようですな。」 「嘆かわしいことだ。肩書きがあろうとなかろうと、中身に差が付くわけでもあるまいに。」 |
董清は目論見どおり、迎撃に出てきた敵部隊を難なく蹴散らし、永安城へと各部隊を急行させていた。城兵は最早2千に満たない。彼我の戦闘力を比べれば、一撃の元に陥落させることも無理な話ではない。中央にて劉璋に降伏勧告すべしとの意見が持ち上がっていることを先日、董清は遠征先の野営地にて聞いた。もちろん大賛成である。無駄な国力の浪費を避けられるならそれに越したことはない。ただ、かの劉璋が勧告に応じてくれるだろうか。それ相応の使者を立てねば成らぬかもしれない。やってみる価値はあるだろうと思う。難しい場合はあくまで力押しという道が待っているだけだが。 永安城が陥落した。福貴隊と鬼龍隊が城外に接近し、わずかばかりの火矢を射掛けて威圧しただけで、城内の将兵は狼狽し、堰を切ったように逃亡者が続出した。一週間も経たぬ内に人っ子一人見当たらぬ状態になったというから、攻撃側としても「もしや罠では?」「これが噂の空城の計?」などといぶかしんだものである。あとは近くの巫県港にこもる劉璋軍6千の兵を追い出せば、永安の完全制圧が完了する。港までの移動に随分と時を費やすのは必至なので、段超が建寧に辿り着くまでにというのは難しそうだ。 「こちらが相手のペースに合わせる必要はない。真正面からぶつかるな。横合いから攻撃して、敵の戦力を削り取れ。なんなら永安を一時明け渡しても構わん。とにかくこちらの兵士は一人たりとも死なせるな。」 董清の指示を受け、全部隊とも永安を南側から迂回するように展開した。がら空きとなった永安へまっしぐらに直進する呉蘭隊へ南側から火矢の集中砲火を浴びせる算段だ。おそらく呉蘭は踏みとどまって応戦するよりも、永安城へ逃げ込むことを優先させるだろう。それは彼の永安城奪取の目的を叶え、将としての面目を保つことであり、部隊としても被害を抑えることにつながる。よって反撃なぞあろうはずもなく、一方的に攻撃を浴びせる事のできる絶対的に優位な立場を得られる。永安城へ入れる兵の数はおそらく極少数であり、それらで一城を守るのは至難であろう。よって再奪取も容易である。 自分の部隊が見る見るうちに少なくなっていく。呉蘭は悪夢を見ているようだった。港を出発したときはゆうに6千は下らない兵数を誇っていたにも関わらず、今や5百程度にまで減らされている。一体どこで自分は道を誤ったというのだろう。当初は永安城までの開かれた道をひたすら進むだけで良かった。遭遇した敵は皆一目散に逃げていくだけだった。だがいつしか後衛が矢を射掛けられるという報告を受けるようになった。敵の攻撃は散発的な為、大したことではないと思った。しかし徐々に敵の数は増えていき、後衛が混乱し始めたと気付いた時には遅かった。逃げようとする後衛部隊に押されるように、前衛の移動速度も上がり、いつしか逃げている時のように全力疾走で歩兵が永安城へ向けて進むようになっていた。その間にも矢の攻撃は続くが、最早踏みとどまって反撃しようとするものはいなかった。そして気付けば部隊は10分の1以下になっていたのである。 永安への再攻撃が始まった。といっても敵方に最早抵抗するだけの力はない。城門の突破、主要各施設の確保、敵将呉蘭の逃亡と一連の出来事がわずか数日のうちに起こり、短期間で永安城に掲げられる旗の色が再度変わることになった。住民にすれば良い迷惑で、どちらの勢力でもいいから早く騒乱を終わらせて欲しいというのが本音であった。荀攸はその辺の実情を見て取り、董清にまずは市内巡察による治安取締りを行うよう進言した。また開発政策を推し進め、騒乱により仕事を失った者達に働き口を与えることも提案した。董清はそれらの施策をすべて是とし、早速実行に移すよう鬼龍に命じた。永安の経済が立ち直り、後方基地として機能するようになれば、いずれ孫呉と事を構えるようになった時に大いに力になるはずである。 |
「ふん、臆病風に吹かれよったか。董清なんぞ何する者ぞ。いざ、突っ込めー!」
黄権隊は、自身の隊を視野に入れた途端に前進を止めた敵軍を見て、それが策であるとは気付かなかった。薄らと霧がかかっていて、董清達が敷いている陣が良く分からなかったというのも不幸だった。勢いを借りて、先陣の兵が目の前の井蘭隊に襲いかかろうとした瞬間、四方八方から火矢が降り注いだ。 「なっ、これは!」 黄権が驚いて言葉をろくに発する事も出来ぬ内に、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。矢に貫かれて一瞬で生気を失った者、火に纏わりつかれて転がり回る者、5千もの兵を擁していた黄権隊が敵軍と対峙してからわずか半刻あまりでその大半の兵を失っていた。なんとか体勢を立て直そうと黄権は兵の収拾を図るが、一方的な攻撃はなおも続き、その日黄権が退却の下知をして彼に従った兵は千程度だった。わずか1日で8割もの兵を失った黄権は果たして愚将の烙印を押されることになるだろう。だが、今の彼にはそれを嘆いている暇はなかった。董清の作戦はまだ終わっていないのである。 秦カイ隊の増援を得て、黄権隊は復讐戦を試みた。しかし、それは最早手遅れだった。「翼を閉じよ。」との号令が聞こえたかと思うと、劉璋軍は両隊とも完全に囲みの内に取り込まれてしまっていたのだ。あっと言う間に助力に来たはずの秦カイ隊が全滅し、黄権は供回りの者を連れて囲みの突破を図った。だが、董清隊からの執拗な追撃を受け、とうとう黄権を除くすべての兵が死んでしまった。奇跡的に生き延びていた秦カイと黄権はたった二人で永安城へと落ち延びていった。永安攻略戦の前哨戦は江州軍の圧勝だった。 永安から第二の迎撃部隊が接近していることを聞き、再び董清は迎え撃つ布陣を敷いた。なるべく兵の被害を抑えつつというのが狙いだが、永安で繰り返し募兵が行われている事を聞き、少々嫌気が差してもいた。目前の敵を壊滅させたら、一気に永安まで進むべきか?と先程から何回か自問自答している。 成都では蘭宝玉が趙雄からの使者に謁見しているところだった。曰く洛陽攻略の是非を問うとのことだが、それについては彼女も考えていた事である。軍師の賛同を得て使者がすぐさま踵を返そうとするのを止め、条件を付けた。今正に孫家に襲われている陳留を先に押さえるべし、と。陳留は将来黄河以北に軍を展開するに当たっての言わば玄関口になり得る。ここを孫家に押さえられては、荊北同盟の兵站に不安が出る。国都を直轄地にするのは確かに魅力的だが、それは後に回してもいいのではないだろうか。 趙雄からの返書を読み、蘭宝玉は少し嬉しそうに笑った。 「さすが、我らが盟主。よくお気付きです。」 そして先の陽平関攻防戦で、宇文通を引き抜いた時のことを思い出していた。あの時、陽平関の向こうで弓の扱いに長けた者がいると聞き、調査をしたところ、宇文通という無名の女性だった。幸い、馬騰軍に他に弓の取り扱いに長けた者はいなかった。しかし何よりも彼女の持つ高い騎射技術を恐れた蘭宝玉は意を決して、彼女と彼女の部隊の引き抜きにかかったのだ。思えばあの時こそが漢中最大の危機であったと思う。その後、彼女ほどに射撃に長けた者は現れていないが、早晩趙雄の危惧するとおり、技術革新を得て、馬騰軍が陽平関を通過してくる可能性がある。彼女はしばし熟考した後、梓潼にいる楊修に弩兵隊に仕込む応射技術を確立するように命じた。この技術があれば、馬騰軍に与える被害を大きくすることができるだろう。あとは火矢を効果的に用い、陽平関北側に敵が駐屯できぬようにすることも難しくないはずである。 永安戦線では、幾度目かの包囲殲滅作戦が成功し、劉璋軍の遊撃部隊を壊滅させていた。 「そろそろ、だな。」 董清は頃合と見て、全軍に前進を命じた。次にまた敵部隊が出撃してきても、退いて備えるのではなく、蹴散らして一気に永安城へと迫ることにしたのだ。すでに永安に篭る兵数は3千程度になっており、強攻策に転じても被害は少なかろうとの読みだった。じっと耐え忍んで董清の命に従ってきた鬼龍や大和が嬌声を上げる。やはり彼らの本分は守勢ではなく、攻勢にこそあるのだろう。 |