忍者ブログ
  • 2024.03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/27 10:41 】 |
n054 信長元服 (細川家)20
いよいよ本格的に南部家攻略が始まった。三戸城の攻略後、遼太郎、竜之介、晴雅ら主だった枚方衆の面々が陸奥に集結し轡を並べて、石川城、十三城といった南部方の出城の攻略に取りかかったのだ。南部家も蘆名盛氏や島津貴久といった名将に数万の軍勢を預けて迎え撃たせたものの、すべての戦に惨敗を喫し、ついに陸奥は細川家により平定された。
 遼太郎らはさらに十三城を拠点として、蝦夷への進攻の為に大船団の建造に取りかかった。船大工らによって慌しく、鉄甲船が作られる様を見届けながら、遼太郎、竜之介はこれまでの日々を振り返っていた。
「とうとうこんな所まで来ちまったなあ。」
「武士になったばかりの頃は、まさか天下の大軍勢を率いて、蝦夷の地を攻略するための作戦を練ることになるなんて思いもしなかったよ。」
「そうさなあ。大臣なんて肩書きもらって帝に言上したり、戦場で数多の名将を敵に回して駆け引きやったり・・いろいろあったよな。」
「細川家に仕官したばかりの頃は持隆様、長慶様、久秀様がそれぞれ派閥作って、細川家中で権力争いしててさ、新人の俺らにはとても出る幕なんてないって思ってたし。」
「あれから13年。無我夢中で働いてきたけど、もうすぐ夢が叶うんだな。」
「ああ、天下万民に安寧の日々を齎す・・ってやつな。」
「あんまり大それたことは言えないけど、それでも一人でも多くの人に笑顔になって欲しくてがんばってきたんだ。」
「この戦が終わったら、枚方で北水館のやつら集めてさ、派手に騒ごうぜ。」
「いいねえ。そういえばあの辺も最近は賑やかになってきてるらしいよ。出入りの南蛮人曰く、なんかジョーサイってのとセードウってのが建ったらしくてさ。連日、見物客でいっぱいみたいだ。」
「なんだそりゃ(笑)」
「ま、一度行ってみようよ。文化施設が一堂に介してる光景が見られるのも、他にないって話だからさ。」


 その後、大船団の建造を終えた細川軍は海を渡り、蝦夷の地へと押し寄せた。すでに南部家には彼らに抵抗できる兵はなかったが、当主南部晴政は再三の降伏勧告を受け入れず徹底抗戦の構えを見せたためである。遼太郎は示威行動に出るだけで済めば・・と願っていたが、やむなく出城の攻略にかかるよう兵に命じた。わずか千程度の南部兵が立てこもる城に数万の兵が押し寄せ、怒涛の如く攻城戦を展開した。結果、あえなく城は陥落し、細川方は蝦夷の地に橋頭堡を構えることができたのである。南部方の本城徳山館は目と鼻の先であり、すでに周辺の町も細川への忠誠を誓う旨を申し出てきている。


 その頃、小田原城では晴元が相馬領・磐城周辺の西川城、黒川城、太田城、宇都宮城に大規模な改修を命じ、守りを強化するように命じていた。また国境には砦や櫓を幾重にも建てさせていた。同盟国・相馬家に不審な動きが見られるとの情報を入手した為である。
PR
【2015/12/06 06:03 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
<<n055 信長元服 (細川家)21 | ホーム | n053 信長元服 (細川家)19>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>