× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
平原を陥落させた余勢を駆って、呂家軍と王連軍はそのまま南皮へと攻め込んだ。主君公孫瓉はいまだ平原に取り残されており、公孫瓉軍は防衛の体制が全く整っていない。 数人の将がそれぞれ迎撃の軍を出してくるが、各個撃破の餌食となるだけだった。あっと言う間に南皮は落ちた。 20都市を直轄する呂家軍は大勢力となり、とうとう呂燕は王に叙せられた。商人上がりの男がついに王侯の列に加わったのである。 これまで最強の槍隊と孫麗の智謀に頼りきりだった呂家軍は、ここにきて兵器開発に精を出すようになった。王連軍との技術交流が進んだおかげだ。 強みを増した呂家軍は北方の薊へと侵攻した。2台の兵器による波状攻撃、弩兵隊の昼夜を問わない攻撃により、薊はわずか10日で陥落した。 迎撃に出てきた公孫瓉は捕らえられたが、降伏を促す呂燕に対して捨て台詞を残して晋陽へと逃亡した。 公孫瓉の領土は晋陽を残すのみとなった。なお徹底抗戦を止めようとせず、最後まで戦おうとする彼だったが、あっけなく王連軍の猛攻に惨敗し、どこかへと落ち延びていった。 中華は王連と呂燕によって統一され、彼らによって支えられた漢朝は息を吹き返した。 王連は宰相として内政を取り仕切り、呂燕は呂家軍を率いて異民族の侵入から民を守り続けた。 第3シリーズ ー完ーPR |
![]() |
![]() |
|
![]() |