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いよいよ、呂家軍も最後の軍閥・公孫瓉との戦いを始めた。強力な水軍を擁しない軍にとって、広大な黄河を渡るのは博打に等しかったが、ついに呂燕は決断したのである。 ![]() ![]() ![]() その頃、王連軍は連携して西の晋陽の攻略に入ったが、そこに思わぬ強敵が立ち塞がった。公孫瓉軍の軍師を務める呂尚(太公望)である。 ![]() ![]() 王連軍と呂家軍は後方より続々と補給部隊を戦場へと送り込んだ。中原からの兵站は生命線である。地の利は寄せ手にはなく、遠征軍にとって補給は疎かにできない。 さらに呂家軍は鄴回りで部隊を送り込んだ。西と東の両方から平原を攻めることで挟撃を目論んだのだ。 ![]() ![]() ![]() しかし呂家軍の動きよりも早く王連軍も挟撃体勢を取った為、敵総大将・公孫瓉自らその対応に忙殺されていた。 ![]() 攻め寄せる王連軍を迎撃する為、守兵が出払った隙に、一気に平原城へと呂家軍が押し寄せ攻略してしまった。守将はすべて捕虜となり、総大将・公孫瓉は戦場の真っ只中で孤立する羽目になった。 ![]() PR |
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