
島津と言えば、やはりこのエピソードは欠かせません。
関ヶ原での有名な中央突破です。
今回は輸出勝利条件を盛り込んで、『島津義弘(戦闘工兵)』が脱出ポイントに辿り着けば勝利・・ということにしました。
<ブリーフィングプレビュー>島津退き口
慶長5年(1600年)9月15日正午過ぎ。関ヶ原にて。
東軍は、北翼集団が北国脇往還沿いの西軍陣地を突破した後南下し、南翼集団が東山道を突破した後北上して包囲するのが基本計画だった。
これに対し、西軍は北翼で石田三成陣地に敵を拘束し、その間に島津勢が側撃する計画だった。
だが島津勢の戦闘力は西軍の勝利に貢献することはなかった。
松尾山城の小早川秀秋、さらに松尾山の麓に陣する赤座、小川、朽木、脇坂の各勢が東軍に寝返り、西軍の戦線南翼が崩壊、決戦に敗れたからである。

西軍諸隊が敗走する中

、戦場に留まったのはひとり島津勢のみであった。
<作戦指令書>敵中突破
主戦場の離脱を図る島津勢は、伊勢街道沿いに前進退却を開始する。

前方は雲霞の如く東軍の兵が満ちているはずだが、敗軍の将兵がその真っ只中を前進してくるとは思わないであろう。

その間隙を衝いた行動が死地を脱する上で功を奏するはずである。

<勝利条件等>
勝利条件 島津義弘の撤退 もしくは東軍の全滅
敗北条件 島津義弘の討死 もしくは島津勢の全滅
<参戦陣営>
青:島津豊久軍(生産タイプ:クウェート)
赤:井伊直正軍(生産タイプ:スペイン)
緑:福島正則軍(生産タイプ:台湾)
黄:松平忠吉軍(生産タイプ:エジプト)
紫:島津義弘軍(生産タイプ:UAE)
橙:石田三成軍(生産タイプ:日本)
水:本田忠勝軍(生産タイプ:イスラエル)
結果は・・・今回は島津豊久軍を指揮し、義弘を護衛しながら、進軍するというスタイルを取りました。これまでと違った遊び方なので、皆でそこそこ楽しめたと思います


東軍側に様々な伏兵を用意していたのですが、やはりCOMが好き勝手に動かして、無駄死にさせてしまいました

後方を脅かす福島正則軍を排除した後は、伊勢街道を進み、鳥頭坂で井伊の赤備え&松平忠吉連合軍と激突

今回は撤退戦ということもあって、部隊数上限や収入を少なくしておいたのですが、苦しい台所事情の中、島津軍は突破に成功


史実と違って、豊久も無事生き残りました。

最後の本田忠勝軍と激突する頃には、島津側にもかなり余裕が生まれていて、難なくここも突破

無事、義弘は戦場を離脱できました。

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