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晋陽が落ちた。迎撃に出ていた沮授隊2千を手玉にとり、部隊を殲滅させられた沮授が城に引き返すのに合わせて自軍の間者を城内に紛れ込ませることに成功した。夜陰に乗じて晋陽城に迫った魯蓮隊が間者によって開けられた城門を潜って城内に乱入。 元より2千しかいない少数の城兵に勝ち目はなく、袁軍はあっさりと降伏した。終わってみれば、董清軍に被害はなくまたもや彼の伝説に1ページが書き加えられることになった。 晋陽入りした董清は早速、部下に市中警邏を命じ、まずは治安の維持に努めた。民の信頼を得て今後の統治をやり易くするための布石である。今回は内政に力を入れるつもりはない。兵糧の補給を待って、薊へ攻め込むつもりである。敵兵は2万に満たない為、長期戦にはならないだろうと思っている。 晋陽では董清が矢継ぎ早に命を出し、市場の建設と兵の調練を再開していた。兵糧が届くまで、まだ幾ばくかの時がかかる。その間にやれるだけの事をやっておくつもりだ。 晋陽では兵の調練が繰り返し行われていた。いずれ行われる薊への進攻は、南皮を攻略中の平原軍と呼吸を合わせることができれば、絶大な効果が期待できるだろう。 董清は輸送部隊の到着まであと1ヶ月と見て、それに合わせて出陣準備を整えるよう諸将に命じた。その後は、それぞれ市場の開発に乗り出す者、兵の調練に精を出す者に分かれ、思い思いに過ごす事になった。折しも薊では闇雲に兵を増やす事に必死になっているようである。治安が急激に悪化しているようだが、構っていられないと言うのが守将たちの意見であろうが、遅かれ早かれ彼らは民の信を失い、自分たちの首を絞めていたことに気付くだろう。 晋陽に王忠隊より伝令が届いた。晋陽の駐屯兵がまるまる戦場で百日以上養える兵糧があとわずかで届きそうである。薊では1万近い兵が移動してきているようだ。合わせると3万程度の数になる。それだけ晋陽を警戒しているということだろう。落日の色濃い袁家にあって必死に足掻く様は、最早不憫とも言えよう。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ その後、袁家を滅ぼした梁は、余勢を買って、とうとう孫家との全面対決に臨んだ。 将兵の質量ともに充実している梁に孫家が抗えるはずもなく、ついに主・孫策は屈服し、軍門に下ることを選んだ。中華全土を平定した梁は、この後永きに渡る平安の世を築くのであった。 PR |
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