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【2024/05/04 11:44 】 |
n074 尾張統一(織田家)1

 久しぶりの織田家プレイ。もしかすると天道では初めてじゃないだろうか?
 とりあえずできるだけ史実になぞらえていこうか。
 まずは桶狭間。信長に敦盛舞わせましたぞ。


 義元討ち取ったりー!さらに清洲同盟で徳川と結ぶ。
 歴史イベント起こせば、本シナリオは織田家にはウマウマやね。


 んで今頃になって、弟の謀反。順番違うけど、よござんしょ。
 ・・と浅井と同盟結ぶの忘れてた~。足利家に浅井家が吸収され、大連合結成されて最早修復不可能。腹いせに領土拡張しまくって、包囲網結成されたけど、速攻武田を滅ぼした。とにかく鉄砲が強すぎて、耐久高い巨城とかでも関係ない。1.5倍とか2倍の兵力差でもひっくり返せる。さすがに謙信相手にした時は少々手こずったけど、それでも勝利はした。後付で、配下にした浅井長政に市を嫁入りさせましたとさ。
 残る敵(大勢力)は九州の大友家、四国の松永家、関東の北条家、東北の上杉家と南部家だ。
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【2016/12/06 22:10 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n073 野望、再び(真田家)3

はい。・・というわけで天下統一です。
つーか、飽きた。

兵糧不足に苦しんだ後、さっさと軍団を解散させて、すべて直轄にし、各国の統治をやり直した。CPUめ、あちこちの水田を更地にしておいて、其の上放置だと!

兵糧の心配がなくなったところで、東日本の征服に向かう。うーん、後から思うにここで徳川と正面からぶつからなかったのは逃げだったかも。

伊達やら最上やらの有力大名を傘下に治め、人材豊かな家臣団に次々と技術革新と文化振興をさせ、兵も馬も溢れるほどに整えた上で、満を持して西進開始。

徳川を追い込み、本城の周りを櫓や砦で囲んで出られなくしてやったら、収入不足でどんどん羽柴家に家臣を引き抜かれて落ちぶれてしまった。

その羽柴も秀吉を討死させemoji、2代目秀頼を捕らえて処断しemoji、3代目秀次もやはり処断しemoji、4代目秀俊の時にとうとう屈服させた。同時に徳川家からは同盟を申し込まれて、家康の15歳の愛娘を幸村の嫁に寄越すならと条件突きつけたら、渋々だけどOKしてくれたemoji
 おかげで、横暴な父親の都合により常に戦場に身をおかせた優秀な息子にも、やっと春が訪れたemoji

・・・土壇場で島津が朝廷権限を駆使して、強制同盟を締結させられたところで、ほぼ萎えた。長宗我部を攻略したので、大坂牢人五人衆勢揃いさせられそうだったのに~。雌雄を決しても良かったけど、終わることにしました。羽柴を滅ぼし、徳川と手を結び、史実もびっくりの真田プレイでしたが、まあ楽しめたかな。
【2016/11/13 01:27 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n072 夢幻の如く (蠣崎家)15

  1591年の冬以降、常陸を訪れた者は、必ず3つのことに驚かされる。
 1つ目は度重なる改築の果てに生まれ変わった勇壮なる太田城。2つ目はその太田城周辺に、京の都でもお目にかかれないほどの、綺麗に整備されただだっ広い平地。3つ目はその平地の中に建立された大社と南蛮寺と五重塔という、本来相容れることのない水と油の関係の如き、異教文化の象徴が共存していることである。

 ことの始まりは僅か3ヶ月前の晩夏に遡る。居を太田城に構え直し、関東の覇権争いに本腰を入れ始めた慶広の元に、南蛮からの外交使節団が訪れたのが始まりだった。使節団の代表・ジョアンヌはかのルイス・フロイスから洗礼を受けたカトリック教の信徒であり、熱心な宣教師でもあった。彼は、各地の大名が蓄財に余念がないことを十分把握しており、実利を齎すポルトガルとの交易を手札として巧みに利用しつつ、本命の日本での布教活動を推し進めていた。戦続きの荒廃した世にあって、民の心を本気で救いたいと考えており、並み居る戦国大名の中でも高潔な精神の持ち主として噂される蠣崎慶広に取り入ることを決めてやって来たのだった。
  
「じょあんぬ?・・ふむ、南蛮渡来のものか。」
「はい、そのものが我ら蠣崎領内においての布教活動の許可を願い出ております。まずは伴天連の教えを広める為の根拠地となる教会とやらの設立をしたいとか。」
「しかし伴天連の教えとやらは良く判らぬ。南蛮寺の建立なぞ、そう易々と認めることはできんな。」
「では追い払いましょうか。」
「待て。南蛮人との交易は莫大な富を齎すと聞く。九州の大友とやらは一代で巨万の富を得ることが出来たとか。宣教師の話を聞くぐらいはしようではないか。」

 こうしてジョアンヌとの面会に応じた慶広は、彼の高潔性と彼の語る崇高な教えに感じ入りつつ、南蛮との直接交易が齎す莫大な利潤を皮算用しながら、教会の建設を約束したのだった。

 その数日後・・・ 
「禅宗の首座を務める徳庵和尚が目通りを願い出ておられます。我らが太田城の麓に民の安寧を願って五重塔を建立したいとのこと。徳庵和尚は季安寺の造営にも並々ならぬご尽力を頂いた御仁にございます。どうか無下にはなさらぬよう。」
 「分かっておる。だが南蛮寺の件で、許可を出したばかりじゃ。問題は無いか?」
「良いのではありませんか。一方ばかりを優遇しては角が立ちます。領内での活動は自由に行わせるが、特段の肩入れはしない。彼らがそれぞれ領民の心を慰めるなら良し。蠣崎の繁栄と発展に貢献するなら尚良し・・ということで。」
「なんだか節操がない気もするが、良かろう。」
 こうして徳庵和尚に五重塔建立の許可を出し、蠣崎家が全面に支援する旨を伝えたのであった。

 だが事はそれだけで収まらなかった。更に数日後、またも慶広の頭を悩ませる事態が生じたのである。
「殿!関東一円の神道勢力を束ねられる磐座大宮司が目通りを願い出ておられます。」
「磐座様が・・?今度は一体なんだ。」
「大社建立を願い出ておられます。おそらくは先の教会と五重塔の建立着手に、蠣崎家が古来よりの神道を蔑ろにし、南蛮勢力と仏教勢力の拡大を助長していると危惧されているのではないでしょうか。」
「馬鹿な。埒もない。」
「しかし南蛮宣教師や僧侶の願い出を容認し、宮司のそれは否認するとなれば、不満が生じるのも已む無きことではありませぬか。」
「ううむ・・政とはこうも悩ましきものなのか。」
 そして慶広は半ば立腹している宮司を宥め、大社の建立を約束させられたのだった。

 こうして蠣崎領では当時の世相にしては珍しく、信仰の自由が認められ、仏教・神道・南蛮の教えがいずれも虐げられることなく、自由に広まっていくのである。武家社会では掬いきれない不安や不満の種が、それらによって解消、解決に大いに役立っていくのだが、この時の慶広達は何もそこまで計算していたわけではなかった。単に一部の勢力を不満を抱かせることのないよう、政が偏りを生じさせることなく均衡を為すように、バランス感覚を重視し、腐心した結果に過ぎないのである。後に名君と誉れ高い慶広ではあるが、案外政のきっかけとはそういうものなのかもしれない。

 とにもかくにも、太田城周辺には教会堂、五重塔、大社が建てられた。南蛮、仏教、神道勢力のいずれにも配慮した結果である。また武家が彼らに必要以上に卑屈になったと取られないよう、遼太郎や准太は太田城の改築を進めることを提案した。立派な建造物が城下に3つもあるのに、肝心の太田城がみすぼらしくては威厳が保てないというのがその言である。
 慶広はその進言を是とし、太田城の改築を進めることにした。早速家臣団を四班に分け、城下町の整備、二の丸、城門、本丸の改築担当を作った。彼らは競うようにして、作業に取りかかり、秋が終わる頃には、三大建立物周辺の平地化や太田城の二の丸、鉄城門、三層天守の造営などが完成した。脅威としか思えないほどの手際の良さであるが、蠣崎家臣団の有能、領主との蜜月関係がもたらす領民の積極的協力、目前の北条家に隙を見せない必死・・等多数の要因があればこそである。逆に言うと、どれ一つ欠けていても本事業は、ここまで迅速に結果を出すことはできなかったに違いない。
 太田城と3つの建造物の建立は、蠣崎家の財力と宗教への寛容さを国内外に示すものとなり、その名声は高まる一方であったという。特に隣国の北条家は、前線近くでそれをやる大胆さに度肝を抜かれると共に、みすみす攻める機会を逸してしまったことに歯噛みしたという。
【2016/11/06 10:50 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n071 野望、再び(真田家)2


「兵力僅か三千となった北条家が回復する前に滅ぼしてしまおう!」という訳で、小田原城に強行したら、同盟国・徳川からの援軍も来て、大混戦に。でも十勇士の大活躍でなんとか徳川軍を撃退。邪魔者がいなくなったところで、小田原攻めを再開して、陥落させることができた。政治力の高い内政向けの武将が多いだけに、まず北条家を取りこむことに成功したのは大きいかも。真田家って一部を除いて武勇一辺倒だし。 
 

 名実共に大名となった昌幸の下に、上杉から春日山城攻略の要請が来た。名声上げたいし、二つ返事でOKよ~ん!
 

 そこからは徳川家との全面戦争が勃発!

emoji躑躅ヶ崎館と駿府城からそれぞれ出張ってきた「赤備え」と「過ぎたるもの(藤岡弘)」が小田原城に襲来。
emoji同時に上田城には徳川家康が自らやってきた。しかも同盟国の前田家を誘いやがって、二方面からの同時侵攻と来たもんだ。
emoji結城城には、南国から里見家が隙を狙ってやってくるし。
emoji宇都宮城には、相馬家が襲ってきた!撃退した上に、逆襲して相馬家滅ぼそうとしたら、あらら伊達家と合体しちゃったよ。

・・・漁夫の利狙いか知らんけど、集中砲火浴びてるで。別に『真田包囲網』組まれた訳じゃないんだけど、とにかく頭がパンクしそうやから、一つ一つ状況整理しながら進めよう。十勇士を一軍の将として使えるぐらい鍛えておいて良かった~。北条家、結城家、佐竹家を取りこんだからマシにはなってきたけど、まだまだ駒不足でつらいところやし。

 直政は昌幸と幸村でサクッと撃退したけど、過ぎたるものは神槍を連発しやがって手が付けられないほど凶悪!!北条家からの降将・甲斐姫(騎馬属性が高いのよ、この娘)に、2万近い兵を率いさせて迎え撃たせたけど、混乱させられまくりで大変なことにemoji
 仕方ないから、昌幸と幸村には井伊追撃を中断してもらって、過ぎたるものに向かってもらった。なんとか追い払うことはできたけど、こいつとの戦いが一番キツかった。さっさと馬鎧を研究しとかんとあかんかな~。emoji

 上田城戦は楽勝モード。家康を砦で堰き止めている間に、十勇士一の成長株・穴山小助が救援に駆けつけてあっと言う間に半壊させた。逃げる家康を追わずに、今度は上田城に取って返させて、今度は北側で前田軍と衝突させた。さらに沼田城からも増援を出したので、前田は慌てて撤退。逆に上杉も軍を押し出してきたので、一緒に春日山城へ逆侵攻。元はと言えば、春日山城への侵攻は上杉からの要請だったけど、「漁夫の利狙って上手いこと春日山城奪取できないかなあ」と攻城戦の最中に考える余裕ぶりemoji

 結城城周辺では一戦交えたら、里見はさっさと逃げていきやがった。後背で動かれたら、いろいろ面倒だから、ここらで憂いを取り除いておこうかねえ。関東管領も名乗れそうだし。あぁ、名声が全然足りねーな。

 できれば仇敵・徳川を真っ先に潰したいところだけど、蠢動する周辺の前田、伊達、里見が少々ウザい。emoji


 そしてとうとう真田包囲網が結成された。包囲網に加わったのは、徳川・伊達・里見の3勢力。接敵が少なくて良かった。まあ、元々あちこちから攻められてたから、今更という感じ。過去に1度だけ、包囲網結成勢力を逆に全部滅ぼしたことがあるけど、あの時は達成感がハンパなかった。今回もやってやろうと思って、意欲的に逆侵攻の開始!まずは里見を早々に滅亡寸前まで追い込んで、最後は勧告であっさりと軍門に降した。
 ・・・と、ここまでは良かったんだけど、ここで大きな誤ちを犯してしまって、ちょっと困った事態になってしまった。後方支援にいちいち指示するのが面倒になって、軍団新設して直轄する前線の国に輸送体制を築いたんだけど、どうやら文化重視の設定がまずかったらしく、たちまち万年兵糧不足状態になってしまったemoji
 おかげで仇敵徳川を追い込んでも、連戦叶わずいちいち回復の猶予を与えてしまう。こんなこと続けていると、徳川を滅ぼす間に、島津とかが強大になってしまうわ。つーかちんたらやってるうちに、厭きてしまうかも。ちょっとやべえな。

【2016/11/04 22:51 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
n070 夢幻の如く (蠣崎家)14
 
 小高城だけではもちろん満足するわけがなく、蠣崎家は冬になると太田城、宇都宮城の同時攻略にかかった。
 准太が「まずは搦め手の調略から始めてはどうでしょうか?」と献策をし、衆議一決して受け入れられた。元々冬の行軍は兵に無理を強いる為、難渋していたところである。策を聞いていた慶広、遼太郎、竜之介、伯楼、虎太郎らが反対するはずもなかった。
 さっそく交渉術に長けた遼太郎が、佐竹家お抱えの匠の集落がある街並に派遣された。匠集団を統括する長老衆が住まう家に案内された遼太郎は、そこで一癖も二癖もある長老衆の値踏みをするような視線を一身に浴びながら、それに臆することなく涼しい顔をして「蠣崎側に付いた場合には大いなる利がある」と話し始めた。理を以って話し、時には情を織り交ぜ、なだめすかし、あるいは脅しも入れて、話を進める内にいつのまにか相手の心を丸裸にし、すっかり遼太郎の話の虜にしてしまっていった。ほんの半日も話し合う間に、長老衆はこぞって蠣崎の傘下に入りたいと申し出ていた。人心掌握に長けた遼太郎の手並みはさすがとしか言いようがなく、老いてなお益々盛んであった。体力の衰えを嘆く竜之介と違い、生涯現役と言わんばかりの活躍である。
 匠集団に蠣崎への臣従を誓わせ、当然ながら佐竹への軍事協力を止めさせた。・・これが実は城を一つ落とすよりも大きな功績だった。佐竹家はもともと革足袋や腹巻鎧といった足軽兵に着用させる武具などを彼らから製造支給させていたのだが、それらを断たれたことで、ボディブローのようにじわりじわりと軍全体の弱体化が進み始めたのである。
 後日「遼太郎の舌は一城に冠絶する。」と慶広が酒宴の席で手放しで褒めたのだが、それはまた別の話である。

 両城周辺の集落を完全にてなづけることに成功した蠣崎家は、城内の兵に悟られることなく、速やかに城周辺まで軍を展開させることに成功した。
 知らず佐竹家は、其の頃周辺の集落からの協力支援がなくなり、武具のみならず一部において兵糧までが兵全体に十分に行き渡らなくなっていた。兵の士気が徐々に下がり始め、担当奉行が異変にようやく気付いた時には、事態はどうにもならないところまで進んでいたのである。


 太田城では、義重は手篭めにしようとしていた結城の姫と小高城を奪われた悔しさから、逃れてきてからというもの毎日のように酒に溺れていたのだが、その日も朝から杯に並々と注ぎ、空になった徳利が辺りに散乱している状態だった。
 そこに突然敵兵襲来の報が届いたのである。驚いた義重は慌てて立ち上がろうとするのだが、酩酊していて足がふらつく始末であった。
 だが鬼義重の異名は伊達ではなかった。自分の指を口に突っ込み、ひとしきり吐いて強制的に胃袋を空にすると、たちまち足取りはしっかりとし、悠々と長槍を振り回せるほどになった。門前に部隊を展開させて、襲い掛かる伊達成美の部隊を潰走させ、次に後詰の政宗の部隊と正面から渡り合った。後門から侵入を果たした蠣崎工作兵の手により、太田城に火の手があがったが、なお義重隊は蠣崎兵を押し返す勢いだった。
 太田城兵2万に対し、蠣崎兵4万という倍の兵数を揃えて臨んだ戦いは、蠣崎に想像以上の苦戦を強いていた。戦に入る前に、小峰城に騎馬や鉄砲の供給が追いついておらず、もともと政宗たち伊達家出身の将には不向きの足軽隊を率いての出陣というのもあったが、それ以上に義重の統率ぶりが見事であったというのが大きいだろう。これで佐竹家の弱体化が進んでいなければ、政宗たちはこの一戦で皆討死をしていたかもしれない。
 政宗の急報を聞きつけた宇都宮城攻略隊は、一大隊を太田城攻略に回すことにした。准太率いる騎馬精鋭部隊はそのまま宇都宮城攻略に専念することにし、虎太郎率いる足軽中心の部隊が太田城攻略隊の救援に駆けつけることに成ったのである。

「別行動になったが、気をつけていけよ。死んだら姫が泣くぞ。」
「そっちこそ、武運を。雪乃を悲しませるなよ。」 

 虎太郎隊が到着してから、太田城攻防戦の展開が変わった。佐竹が見たこともない大筒が、この戦場にも投入され、佐竹の兵はその雷雨とも思しき轟音にすっかり度肝を抜かれた。まだこの頃の大筒の砲弾は破裂こそしなかったのだが、城壁に次々と大穴を開ける様を見ては腰が引けるのも無理はなかった。
 さらには虎太郎らの勇猛ぶりも加わり、さしもの鬼義重も奮戦したものの、ついに捕縛の憂き目にあったのである。しかし忠臣による捨て身の救出作戦により、多数の犠牲者を出しながらもとうとう義重は逃亡に成功したのであった。


 宇都宮城においては、准太率いる騎馬隊が、佐竹兵を上手く城外に誘き寄せて、野戦に持ち込み、一戦して敵を粉砕した。罠にかかって苦境に陥ったことを悟った佐竹兵が慌てて城内に戻ったが、准太隊も同時に突貫し、これまた一撃で城門を突破した。そこからは敵味方入り混じっての大混戦に陥ったが、趨勢は最早決したといっても過言ではないだろう。宇都宮城の陥落も間近だった。
 

 漁夫の利を得んとしてか、同じ頃になんと今や佐竹の本拠である結城城を北条家が攻めていた。佐竹を滅ぼしたのは北条であるとの既成事実を作ろうとしているかのようである。名声を独り占めにした北条氏政の高笑いが聞こえてきそうであった。
「佐竹を叩けば、次は北条が台頭してくるか。よくもまあ、次から次へと・・。」
 食わせ者揃いの戦国大名達に、蠣崎慶広は内心辟易する思いだった。ちょうど季節は春が終わり、夏にさしかかろうとする頃だった。
【2016/11/01 22:28 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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