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【2025/03/17 07:40 】 |
黒軍師・蘭宝玉と三人の主任研究者
『委細承知。』
董清及び福貴の連名で返書が送られてきた。董清らしい簡潔な文書である。彼の下には、事前に蓬莱信自身からも許しを願う文が届いており、福貴にも図った上で『諾。』と答えてあった。無論彼に蓬莱信の身に訪れた幸福を賀する気持ちがない訳ではない。言葉を飾らない彼にとって、精一杯の祝辞の言葉だった。


天水からの迎撃軍の第2波が到来したが、またしても一撃の下に粉砕された。成公英率いる兵の数は明らかに第1波に比べて減っており、彼の天水における立場が苦しいことが窺われた。だからと言って、董清に手を緩めてやる道理もない。全軍に粛々と前進を命じるのみであった。


『即、戟兵鍛錬法の研究を始めよ。』
黄権が朝起きると共に、居室に書状が届けられた。読み違えたかと思い、もう一度読み直したが書いてあることは寸分たりとも狂いはなかった。
「はあああっ!?一体ここの生活はどうなってるんだ!?」


新野に新たに設けられた研究棟にやってきたのが数週間前。張春華の到着を待って、初期こそ退屈とも言える日々を送っていたが、張春華が到着し、主任研究員が揃った頃から、地獄とも言える日々が始まった。いきなり『槍兵を効率的に鍛え上げることのできる鍛錬法を10日で編み出せ!』と来て、できなければ即クビとも伝えられた。「代わりはいくらでもいるのよ~。」と蘭宝玉からはにこやかに軽やかに、それ故に恐ろしい一面を見せられもした。
それからの10日間、まさに3人であーでもないこーでもないと試行錯誤を重ねた挙句、ようやく10日目に夜半すぎになってレポートを纏めることができた。昨日は風呂にも入らず、即寝床に潜り込んだ。おそらく他の2人も同様であろう。そしてまだ寝ぼけ眼のまま、厠に行きたくなって、寝床を抜け出した途端にこれである。
「訴えてやる~。」と思わず拳を振り上げるが、趙雄、魯淑瑛、董清と主だった者が皆、承認している計画であったことを思い出して、拳の下ろし所がないことに気付き、嘆息するしかなかった。

 
「思ったよりも研究スピードが早いわね。流石といったところかしら。」
次々と主任研究員を支える助手の養成と上庸実験場で得られるデータを新野へと送っているが、なかなかどうして3人はよく捌いているようだ。蘭宝玉は実験機の追加生産と実験場の増築を決めた。


「張魯に実験場を拡張するよう伝えて頂戴。なんなら他の場所に第2実験場を構えてもいいわ。それから新野の主任研究員には滋養強壮に良い食べ物をたんと作って差し入れしてあげて。がんばってくれている3人に労いの言葉も添えてね。」現在の世に言うドーピングというやつだが、何気に蘭宝玉は飴と鞭の使いどころを知っており、優しさの裏にも強かな計算があるようだった。元教え子だった董清に言わせれば、「先生は夜叉だ。」とのことである。
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【2014/05/06 12:58 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
上庸大実験場の設営

 上庸で蘭宝玉の命を帯びた大実験場の設営が進み始めた。まずは張魯が軍楽台2基を設置にかかっている。斜角計算、威力確認、夜間訓練等々、基礎研究と応用研究が平行して進められる予定である。そうなれば技術者達の学問が捗り、この都市で同時に進められている投石機の量産計画と共に大いに荊北同盟の原動力となるであろう。


 そしていよいよ董清が漢中軍に天水への進攻を命じた。陽平関で敵軍と正面衝突する愚を犯さない為、北道をあえて通らず、西の桟道を抜ける道程である。今回は大和・福貴隊に加え、董清・魯蓮隊も投石機を率いる。鬼龍隊と林玲隊がそれぞれ護衛に弩兵隊を率いる念の入れようであった。

 
 漢中軍は桟道に差しかかった。董清は副将に任じた魯蓮の様子を案じていた。漢中を進発する前からこの方何やら考え込んでいる節があるのだ。福貴には小言をこぼされたが、西涼討伐の初戦である。大事の前の小事と割り切る訳にもいかない。不確定要素を持つのは好ましくないが、今度の決戦には魯蓮の力も必要であった。であれば、自身の監督下に置くしかないであろう・・という配慮である。(福貴には、それをダシにして色事に走ろうとしていると邪推されているが。)
 その頃、蘭宝玉は永安の開発に目処を付けつつあることもあって、次なる計画を実行に移そうとしていた。まずは趙雄夫妻に研究員3名を選抜してもらいたいとの書状を送った。

 張春華は召集命令を受けたものの、陳留から動けずにいた。文醜隊が城外に陣取り、包囲を続けているためである。現在周信らが撃退に出ているが、外出禁止令は敷かれたままであった。蘭宝玉からは急がなくても良い旨を通達されているが、一大計画に参画できるということで、秘かに期待に胸を躍らせていた彼女は少々焦らされる日々を送る事になった。

 上庸での実験場は着々と施工が続いている。実験に同時使用する投石機の数を増やす為、一時的に宛にあった3台を借用することにした程だ。

 蘭宝玉は永安で穀倉を建設しながら、遠く上庸や新野に次々と指示していた。傍らの農民からしてみれば、農地で何やら緻密な計算と複雑な計算をしている彼女は異端である。奇異に見えたとしても仕方がなかった。「ええと、これで人材は確保できたから、あとの課題は研究進捗と資金の調達ね。巴蜀と上庸の資金をあてにするとして・・。ええとそれから・・・。」

 蘭宝玉は王圃と共に永安の地を離れ、上庸へと向かった。各種実験の土台となる投石機の開発と、そこで繰り返される実験データを下に研究を重ねる研究員の養成を担うためである。実験設備の建設は張魯が中心となって、急ピッチで続けられており、霹靂の研究が終了するであろう時期に合わせて投石機に搭乗する人材も選定する予定だ。


 漢中軍が桟道をようやく抜けた。天水を守備する成公英はおそらくこちらの動きを察知していると考えた方が無難だろう。にも関わらず、桟道の出口で待ち受ける兵はいなかった。やはり他に隊を任せられる人材が不足しているのだろう。成公英一人ではどうしようもないに違いない。とは言え、座して天水に漢中軍が殺到するのを待つはずもなく、そろそろ迎撃に出てくるはずである。

 
 董清の読み通り、成公英は漢中軍の接近を察知していたが動くに動けない状況であった。相次ぐ陽平関の出兵により、天水では成人男子があらゆる部署で不足が目立ち始め、それに伴い事故の発生、治安の悪化が急増する事態になっていた。警邏隊の士気を任せることのできる人物すらおらず、成公英自身が城内に残って陣頭指揮を執る有様であった。よって城内を留守にする訳にもいかなかったのだが、敵軍接近の報が民にも知れ渡ると、特に一定の財産を保有する中流層以上が自分達の生活が脅かされることに不安を覚え、「何故迎撃しないのか?」と口々に不平を言い始めた。内通の懸念もあり、強権を発動して戒厳令を敷く訳にもいかず、天水まであとわずかというぎりぎりの所で成公英は出陣した。つくづく先年からの出兵により諸将がいないことが恨めしい。だがそんな成公英の悲壮な覚悟すら読みきっていた董清は諸将に命じて包囲陣を敷き、あっけなく天水軍を粉砕した。瞬く間に全滅の憂き目にあった成公英はほうほうの体で天水へと逃げ帰った。勝手気儘なものではあるが、天水の民の怒りがさらに膨れ上がったのは言うまでもない。
【2014/05/06 01:57 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
漢中に集結せよ
 
天水所属の武将は太守・成公英を除けば、成宜のみであり、彼は陽平関に釘付けになっている。天水には実に2万もの兵が駐屯しているが、指揮を取れるものが成公英だけではその力は半減以下であろう。


一方、陽平関には捕虜同然の将が10人もいて、その中には最近仲間入りを果たしたばかりの馬雲緑もいる。いくら策略に嵌ったとは言え、兵站を顧みず幾重にも無謀な進攻を繰り返したことは愚かとしか言いようがない。
来週には大和と鬼龍兄弟及び魯蓮、その翌週には総帥の董清と妻・福貴が到着する。進攻ルートは今のところ漢中より西の桟道ルートを取る予定だ。あくまで成宜には陽平関に注意を向けさせておき、天水の救援に向かえないようにしたい。長安を曹操軍から奪取して以来、増長を続けてきた馬騰軍にとって悪夢のような日々があと一ヶ月ほどで始まる。


大和、鬼龍、魯蓮達第一陣が漢中入りを果たした。鬼龍は早速、矢継ぎ早に指示を出し始めた。来週董清が漢中入りを果たす迄には、戦支度を終えておきたかった。上庸からは林玲率いる輜重隊があと数里という所にまで迫っているとの報が入った。久しぶりの再会を寿いで酒宴を催すのもいいかもしれない。


 漢中に福貴と共に到着した董清は早速兵の鍛錬を直接行うことにした。檄を飛ばしながら、部隊連携の指揮を取っていると、大和、鬼龍兄弟と大きな包みを抱えてやってきた。
「何だ、それは?」
「南陽公からの頂戴物です。まあ、まずはご覧下され。」
 鬼龍は包んでいた布から中の物を取り出して、董清に見せた。
「ふむ・・・方天画戟か。懐かしいな。」
「お察しの通り、呂将軍の得物として有名です。ただ添え状によるとこれは武威の職人が作った別物のようですが。」
「真偽はともかく中々の業物だな。だが俺は戟の扱いは少々不得手だ。お前達が使うか?」
「俺達もどっちかというと得意分野じゃありませんや。」
「ではどうする?蔵で眠らせておくのは惜しいな。」
「あいにく我が軍の武将は弩の扱いに特化している者は大勢おりますが、戟となると・・・おっと一人いましたな。」
「誰だ?」
「魯蓮殿です。以前稽古中に仕合ったことがあるのですが、彼女の戟の腕は中々のものでした。」
「良いだろう。では宅に運んでおけ。」
「それにしても彼女は一体何者なんでしょうねえ・・?」


 ある日、魯蓮が漢中内に与えられた彼女の家に巨大な戟が竹簡と共に置かれていた。竹簡には『やる 董』としか書かれていない。


 到底女性への贈り物としてふさわしくない代物を見ながら魯蓮はくすりと笑った。『英雄色を好む』を地で行く董清だが、さすがに魯蓮に手を出す気はないらしいことがこの品を見てもよく分かる。面と向かって口説かれたことはまだない。趙雄の下からやってきた客将であることに加え、福貴や蘭宝玉の厳しい監視があるので行動に移せないだけかもしれないが。
 魯蓮が何気なく卓の上に置かれた方天画戟を握ると、突如彼女の体に電撃が駆け抜けたような錯覚に陥った。
(この感触に覚え・・・が・・ある?)
 おそらく方天画戟そのものではないが、これと似たような業物を自分は扱っていたのではないか?まるで兄弟の親近さに触れるような思いで、魯蓮は方天画戟を軽々と振り回した。

 
霹靂車の開発が江州の地にて始まった。巨石を広範囲に放てる兵器開発に成功すれば、攻城の際に大きな力になることは間違いない。報告を聞いて、董清は満足そうに頷いた。上手く行っても完成まで3ヶ月超かかるとのことだが、天水攻略に間に合うかどうか。漢中の兵は今や質量共に満ち満ちて充実している。董清の号令がかかるのは間もなくのことである。

 
永安での開発に目処が付きつつある。市場と農場の開発の陣頭指揮を執る前に、蘭宝玉は手の空いた者達に対し、上庸へと向かうよう指示を出した。現在研究中の霹靂の大実験場を上庸に建築しようと考えている。そこで行われる実験の数々が今後の我が軍の様々な研究に良い効果を与えることは間違いないだろう。

【2014/05/02 09:37 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
西涼討伐に向けて
成都の復興が最終段階を迎えた。貨幣の統制を行う造幣局が完成すれば終了だ。長かった成都勤務がようやく終わり、春風は董清達のいる永安に赴くことになっている。今や益州の資金及び兵糧の収益力は相当なもので、西涼や長江流域での戦役は仮に十数年に及ぼうとも十分賄えるぐらいになっている。そうなると南蛮の開発は自然と急務ではなくなってきている。南蛮の統治に当たらせている劉璋達には、精々己の食い扶持の確保と、叛乱なぞ起こされぬよう治安の維持に努めてくれれば良いかとさえ感じてきていた。
それよりも董清は段々と戦の虫が疼くようになってきていた。やはり自分は武人である。

永安で第2次開発計画が始まった。一度作られた市場や農場が更なる収益力向上の為に再構築されていく。それと同時に西涼戦線における作戦が練られ始めた。幸い、漢中攻略作戦の再三の失敗が元で馬騰軍に往年の勢いはない。上庸と漢中の兵と兵糧があれば、一気に4都市陥落させることも夢ではないだろう。思考を巡らせる董清の顔つきが段々と不敵なものへと変わっていった。

成都に続き、江州も開発の最終局面に入った。永安も建寧も概ね良好に推移している。雲南の開発が一向に進んでいないと報も入ってきているが、遠隔地の為事細かく指示を出せるはずもない。あまりに現地の担当者が怠慢しているようなら更迭もやむなしだろうが、今しばらくは様子を静観することにしている。

「永安の開発が一息ついたら、西涼攻略軍参画者には漢中に移ってもらう。」
急ピッチで開発進行中の永安城内の太守の間には主要幹部が顔を連ねていた。
「鬼龍、大和、福貴、魯蓮はいつでも行ける様支度を整えておけ。」
董清の命を受け、早速私室へと戻ったものの、大して多くもない荷物の整頓を早々に終えてしまい、床についたは良いがいつになくなかなか寝付けない為、魯蓮は夜の永安城内を散策する事にした。
城内で哨戒の兵を除けば誰も自分のように徘徊しているものはいない。皆昼の労働で疲れているのだろう。ふと空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
「綺麗・・。」
無駄を嫌い効率よく成果を上げる事を求める董清の下に来てからは、常にばたばたしてゆっくり夜空を眺める事をしていなかったように思う。
民の笑顔を見たいが故に、董清達の期待に応えたいが故に、ひたすら頑張ってきた。そして、いつの間にか記憶を取り戻せなくて、うじうじしていたことなど忘れてしまっていた。
「あ~あ~。別に過去のことなんてどーでもいーよね~。」
今の自分を必要としてくれている人たちがいる。確かに充実した幸せな毎日を送っていると自負できる自分がいる。それで十分ではないか。夜空を久しぶりにゆっくりと眺めているうちに何だか悟りを得たような気になった。なんだか気持ちが晴れやかになった。この分だと寝床に戻ればすぐにぐっすりと眠れそうだ。部屋に戻ろうと踵を返しかけた時、突如魯蓮の視界が真っ白になった。

(・・・・痛ッ!)

頭に激痛が走ったような気がした。そして自分が騎乗の人となって、同様の女性達と楽しげに併せ馬をしている光景が一瞬見えた。
(え?誰?)


ある日、大和と鬼龍兄弟が神妙な面持ちで董清の執務室へとやって来た。
「俺の世間的評価が低い?別に構わんさ。」
「いや、しかし若よりも我々の方が官職が上というのもどうにも・・。」
「ふん、世間体なぞどうでもいいがな。だが、お前らに苦慮させているというのも分かった。で、俺は何をすればいいんだ?」
「城を落として頂くとか、技術開発に成功して頂くとか、地道に輸送を繰り返して頂くとか・・。」
「差し当たって、今甘寧殿達が進めている投石開発が終了すれば、次の段階の霹靂開発の担当者に名乗りを上げられてはいかがでしょう?」
「それが良い。開発に適した人材が集まりやすいよう、上庸の空白地に人材府を建てましょう。普段は彼の地で都市と港間の輸送を担当して頂いて・・。」
「霹靂車が完成すれば、効率的運用の実験官になって頂くのも良いですな。石塁を配置してそこに霹靂攻撃を只管行った成果を纏めて頂くのも、世間的に目に見えやすいかと。」
「おいおい・・・お前達勝手に盛り上がるな。」

かくして『若様、世評向上大作戦』が秘かに始まろうとしていた。


「面倒だ。却下する。なぜ俺がそこまでせねばならん。」
当初は鬼龍や大和にあれこれ言われて、功績を上げる努力をしようとその気になっていた董清だったが、たった一週間ですべてを引っくり返した。
「益州も南蛮も復興できたならそれでいい。開発に躍起にならなくて良い。ヨシ、今の開発が終了したら西涼に向かうぞ。」
武人としての血が騒いでならぬらしい。いや人気取りに現を抜かすことがそもそも性に合わない行為なのだろう。ひたすら耐えて内政にも邁進していたが、ここらが限度だったようだ。


益州及び南蛮に駐屯する軍団を董清は再編成した。漢中と永安のみを直轄地とし、その他は統括者を定め、完全に治世を委任することにしたのだ。これはそう遠くないうちに軍事行動に出ることの意思の表れであった。上庸にいる兵士を漢中に集結させるよう林玲に命じたことからもそれは分かる。馬騰軍との対決の時が迫っている。


「では行ってくる。」
董清と福貴がわずかな供回りと共に漢中へと旅立った。到着は一ヵ月後になるだろう。先行している鬼龍と大和が漢中入り後、董清達が来るまでの間に戦支度を進めておく手筈になっている。
「ご武運をお祈りしております。」
蘭宝玉は永安を後方基地として完成させるという任務を背負っていた。本当は董清と共に漢中へと行きたかったが、誰かがやらねばならぬことである。今回は我慢することにした。前線を担う者達が後顧の憂いなく戦えるよう、後方を整えておくのも大事だろう。
そう言えば荊南に潜ませていた間者より孫家の船団を目撃したとの連絡が入った。最後の空白地帯・零陵へと舳先は向いていたとのことである。趙雄に一報しておいた方が良いだろう。
【2014/04/27 21:09 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
益州復興
益州平定が完了した。長らくの遠征生活に早々に終止符を打ちたいところではあるが、度重なる戦乱で荒れ果てた永安の町を放置する事はさすがにできない。董清は自ら市内巡察を行い、不逞の輩を一網打尽にした。また自軍の兵が民に狼藉を働いた場合は誰であろうと容赦なく斬って捨てると全軍に通告している。それらの施策を行っただけで、劉璋軍が占拠していた時よりも格段に治安が良くなり民は喜んだ。
上庸の地では新たな井蘭が完成し、太守・林玲が宛へと輸送する計画を立てていた。「弩2万3千弱、衝車1、井蘭3。宛へ。」


「宛の膝元である武関が孫家の管理下にあるというのは頂けませんね。弩兵隊か井蘭隊と制圧部隊を連携させ、孫策軍が陥落させる前にこちらで制圧すべきでしょう。」
「長安についてはいかがですか?」
「勝算があるのならば、出撃に賛同します。董清様以下は益州平定されてからまだ間がなく、戦後処理に今しばらく時を費やしましょう。よってすぐには西涼や長安へ軍を出すことは叶いません。宛単独で、ということで構わなければ。」
「益州といえば、劉璋たちの処遇は?」
「とりあえず自治権を与えておきます。雲南の制圧も命じておきましょう。正直南蛮のことまで、とても手が回らないというのが本音です。もし趙雄様が直轄におかれるというのなら、異論はありません。人材の有効活用もお任せします。」


 漢中軍は益州全土の戦後処理に忙しくしていた。現在は主に成都、江州、永安での復興作業に注力している。董清も自ら剣を鍬に持ち替えて、耕作に精を出していた。陽平関では餓えに苦しむ馬騰軍が自滅の道を邁進している。漢中軍が一兵も損ねることなく内政に専念している間に、馬騰軍はかつて曹操軍から長安を奪った時の勢いを完全に失っていた。組みし易しと安易に荊北同盟に手を出したばかりに馬騰は没落へと突き進んでいる・・・まるで往年の曹操のように。


「あーもう見てらんないわね。」
建寧での意味不明な施策実行ぶりに業を煮やした蘭宝玉がわずかの間に前言を撤回し、建寧を直轄地に置く事を宣言した。劉璋の愚鈍さが腹に据えかねたのであろう。代わりに開発が終了している上庸と梓潼を太守に一任することにした。成都の開発計画もかなり進んでいる。あとは江州、永安、建寧、雲南を後方基地として整備できれば言う事はない。


 趙雄が孫家を出し抜いて、上手く勢力拡張を図っている頃、益州では地道な開発が続けられていた。転戦に告ぐ転戦の連続で、心身共に休む暇のなかった今回の遠征で少なからず疲労が蓄積していた漢中軍にとっては図らずも生まれた機会である。正に僥倖と言えよう。


 益州の復興は順調に進んでいる。殊更劇的な展開があろうはずもなく、まさにのどかな日常が続いている。ともすれば戦乱の世である事を忘れてしまいそうになりそうな時の中で、董清達は鍬を槌に持ち替えて、今度は市場の開発に勤しんでいた。内政が一段落したら、技術開発に精力を注ぎたいと蘭宝玉は考えていた。軍制改革を試みるもよし、いつぞや周信から報告のあった投石兵器というのも面白そうだ。弩兵が主体となったわが軍においては、強弩の開発も有効だろう。まずは趙雄に話を通してみよう。


「益州復興に目処が付いたら投石機の開発に着手するとしよう。」
趙雄からの意見書に目を通し、董清は傍らの鬼龍に告げた。西涼の攻撃には是非、投石機を持って行きたいものだと思う。かの地にいる騎馬民族はどのような反応を示すだろうかと思うと、少々愉快になった。もしそれを船団に積めば、孫家に負けない水軍を創設できるのではないだろうか。水上からの攻撃を活用すれば、大兵力を有する柴桑や江夏とて瞬く間に攻略が可能かもしれない。


 劉陵の読みどおり、孫家と曹操軍は遭遇こそしたものの、小競り合いを行ったのみで、大きな衝突はなかった。同盟を組んでいるとは言え、やはり孫家は自軍優先のようだ。抜け目ないというか信用できない。いや陳留やら武関やらを眼前で掠め取っておいて、こちらが言うのもなんだが。


 兵糧の確保を重視する余り、農場の開発を優先していたのが仇となったようだ。永安で軍資金が枯渇気味になっていた。おそらく来月の徴収で間に合うだろうが、政をぎりぎりの所で行うような危ない橋は渡りたくない。董清からの要請を受けて、蘭宝玉は急ぎ江州にいる魯蓮に輸送を行わせることにした。魯蓮は・・というと、未だ記憶が戻っていないが、本人は全く気にしていないようだ。むしろ屈託なく明るく過ごせるようになってきていた。益州の料理や文化を初めとして、日々の暮らしにも慣れてきたのだろう。もしかするとこちらの出身か?とも蘭宝玉は考えたが、確たるものは何もない。とりあえず魯蓮は命を受けて、颯爽と永安へと旅立っていった。


「なあ、俺らって何か地味じゃね?」
「そう言うな。市場開発も立派な仕事だ。」
「でもなあ、片や名将と華々しい一騎討ち、片や槌持ってエンヤコラサッサじゃなあ。」
「充実した後方支援あってこその前線の活躍だ。趙雄殿や若はその辺の評価はきっちりしてくれるだろうさ。」
永安で黙々と大工作業に耽る義兄弟の他愛もない会話である。成都や江州での開発は終盤に差し掛かっており、永安もほぼ第一段階が完了したところだ。人財を集中すべき箇所に注ぎ込むのをヨシとする董清軍にあって、目下のところ今は永安が核となりつつある。当面は内政中心というのが政策の基本方針なので、武官からすれば槍や弩の代わりに鍬や鋤、槌を持つのは忸怩たる思いがないと言うと嘘になろう。とは言え董清の命は絶対であるので反論する者なぞいようはずもない。ただ陳留での活躍の報が聞こえてくる度に溜息が聞こえてくるのは
仕方がないことかもしれない。


「若、趙雄殿が公に封ぜられたようですぞ。」
「そのようだな。」
「それに引き換え、若は無位無官。宜しいのですか?」
「俺は他人から与えられる爵位や官爵に興味はない。だが、お前達がそれなりの官爵に付けるよう上奏しておこう。有益なものであれば、何であろうと使い切れば良いのだからな。」
「確かに官吏の中には爵位や官爵の有無で態度を変える物がおるようですな。」
「嘆かわしいことだ。肩書きがあろうとなかろうと、中身に差が付くわけでもあるまいに。」
【2014/04/26 16:17 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
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