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【2024/04/26 05:14 】 |
n070 夢幻の如く (蠣崎家)14
 
 小高城だけではもちろん満足するわけがなく、蠣崎家は冬になると太田城、宇都宮城の同時攻略にかかった。
 准太が「まずは搦め手の調略から始めてはどうでしょうか?」と献策をし、衆議一決して受け入れられた。元々冬の行軍は兵に無理を強いる為、難渋していたところである。策を聞いていた慶広、遼太郎、竜之介、伯楼、虎太郎らが反対するはずもなかった。
 さっそく交渉術に長けた遼太郎が、佐竹家お抱えの匠の集落がある街並に派遣された。匠集団を統括する長老衆が住まう家に案内された遼太郎は、そこで一癖も二癖もある長老衆の値踏みをするような視線を一身に浴びながら、それに臆することなく涼しい顔をして「蠣崎側に付いた場合には大いなる利がある」と話し始めた。理を以って話し、時には情を織り交ぜ、なだめすかし、あるいは脅しも入れて、話を進める内にいつのまにか相手の心を丸裸にし、すっかり遼太郎の話の虜にしてしまっていった。ほんの半日も話し合う間に、長老衆はこぞって蠣崎の傘下に入りたいと申し出ていた。人心掌握に長けた遼太郎の手並みはさすがとしか言いようがなく、老いてなお益々盛んであった。体力の衰えを嘆く竜之介と違い、生涯現役と言わんばかりの活躍である。
 匠集団に蠣崎への臣従を誓わせ、当然ながら佐竹への軍事協力を止めさせた。・・これが実は城を一つ落とすよりも大きな功績だった。佐竹家はもともと革足袋や腹巻鎧といった足軽兵に着用させる武具などを彼らから製造支給させていたのだが、それらを断たれたことで、ボディブローのようにじわりじわりと軍全体の弱体化が進み始めたのである。
 後日「遼太郎の舌は一城に冠絶する。」と慶広が酒宴の席で手放しで褒めたのだが、それはまた別の話である。

 両城周辺の集落を完全にてなづけることに成功した蠣崎家は、城内の兵に悟られることなく、速やかに城周辺まで軍を展開させることに成功した。
 知らず佐竹家は、其の頃周辺の集落からの協力支援がなくなり、武具のみならず一部において兵糧までが兵全体に十分に行き渡らなくなっていた。兵の士気が徐々に下がり始め、担当奉行が異変にようやく気付いた時には、事態はどうにもならないところまで進んでいたのである。


 太田城では、義重は手篭めにしようとしていた結城の姫と小高城を奪われた悔しさから、逃れてきてからというもの毎日のように酒に溺れていたのだが、その日も朝から杯に並々と注ぎ、空になった徳利が辺りに散乱している状態だった。
 そこに突然敵兵襲来の報が届いたのである。驚いた義重は慌てて立ち上がろうとするのだが、酩酊していて足がふらつく始末であった。
 だが鬼義重の異名は伊達ではなかった。自分の指を口に突っ込み、ひとしきり吐いて強制的に胃袋を空にすると、たちまち足取りはしっかりとし、悠々と長槍を振り回せるほどになった。門前に部隊を展開させて、襲い掛かる伊達成美の部隊を潰走させ、次に後詰の政宗の部隊と正面から渡り合った。後門から侵入を果たした蠣崎工作兵の手により、太田城に火の手があがったが、なお義重隊は蠣崎兵を押し返す勢いだった。
 太田城兵2万に対し、蠣崎兵4万という倍の兵数を揃えて臨んだ戦いは、蠣崎に想像以上の苦戦を強いていた。戦に入る前に、小峰城に騎馬や鉄砲の供給が追いついておらず、もともと政宗たち伊達家出身の将には不向きの足軽隊を率いての出陣というのもあったが、それ以上に義重の統率ぶりが見事であったというのが大きいだろう。これで佐竹家の弱体化が進んでいなければ、政宗たちはこの一戦で皆討死をしていたかもしれない。
 政宗の急報を聞きつけた宇都宮城攻略隊は、一大隊を太田城攻略に回すことにした。准太率いる騎馬精鋭部隊はそのまま宇都宮城攻略に専念することにし、虎太郎率いる足軽中心の部隊が太田城攻略隊の救援に駆けつけることに成ったのである。

「別行動になったが、気をつけていけよ。死んだら姫が泣くぞ。」
「そっちこそ、武運を。雪乃を悲しませるなよ。」 

 虎太郎隊が到着してから、太田城攻防戦の展開が変わった。佐竹が見たこともない大筒が、この戦場にも投入され、佐竹の兵はその雷雨とも思しき轟音にすっかり度肝を抜かれた。まだこの頃の大筒の砲弾は破裂こそしなかったのだが、城壁に次々と大穴を開ける様を見ては腰が引けるのも無理はなかった。
 さらには虎太郎らの勇猛ぶりも加わり、さしもの鬼義重も奮戦したものの、ついに捕縛の憂き目にあったのである。しかし忠臣による捨て身の救出作戦により、多数の犠牲者を出しながらもとうとう義重は逃亡に成功したのであった。


 宇都宮城においては、准太率いる騎馬隊が、佐竹兵を上手く城外に誘き寄せて、野戦に持ち込み、一戦して敵を粉砕した。罠にかかって苦境に陥ったことを悟った佐竹兵が慌てて城内に戻ったが、准太隊も同時に突貫し、これまた一撃で城門を突破した。そこからは敵味方入り混じっての大混戦に陥ったが、趨勢は最早決したといっても過言ではないだろう。宇都宮城の陥落も間近だった。
 

 漁夫の利を得んとしてか、同じ頃になんと今や佐竹の本拠である結城城を北条家が攻めていた。佐竹を滅ぼしたのは北条であるとの既成事実を作ろうとしているかのようである。名声を独り占めにした北条氏政の高笑いが聞こえてきそうであった。
「佐竹を叩けば、次は北条が台頭してくるか。よくもまあ、次から次へと・・。」
 食わせ者揃いの戦国大名達に、蠣崎慶広は内心辟易する思いだった。ちょうど季節は春が終わり、夏にさしかかろうとする頃だった。
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【2016/11/01 22:28 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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