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【2024/04/26 09:00 】 |
n053 信長元服 (細川家)19
失策が続き、苦戦を強いられたものの、何とか押し寄せる伊達・蘆名連合を撃退し、そのままの勢いで蘆名家と里美家を滅ぼすことができた。ようやく一息つけた晴元は細川藤考の献策を入れて、小田原城の大改築を命じた。
 

 この頃になると、細川家の威を恐れた大崎家、伊達家、安東家が次々と降伏を受け入れ、さらに相馬家が同盟を願い出てきた。先の蘆名家・里美家吸収時も含め、合わせて100人近い大量の家臣が一気に細川家に組み込まれることになった。伊達家の宿将となっていた武田晴信もこの時、過去のわだかまりを捨て、細川の軍門に下っている。晴元は思案の結果、東北の各城に彼らを配置し、北方の雄・南部家の攻略と東北の地の鎮撫に当たらせることにした。



 数ヵ月後には北田義孝らの懸命の働きの結果、小田原城の大改築が終了し、大阪城と並び日本有数の巨城の完成である。このことは関白・管領を兼務し、六百万の兵と枚方衆を初めとする数多の勇将・猛将・智将を配下に従え、名実ともに天下人と称されるようになった晴元の名声をさらに高めることになった。


 細川家の敵は南部家だけとなり、さっそく三戸城には、竜之介率いる精鋭3万が押し寄せた。防御施設も貧弱で、城兵もわずかしかいない三戸城が早々に落ちるのは火を見るよりも明らかであった。


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【2015/12/05 10:33 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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