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【2024/04/24 08:51 】 |
n051 信長元服 (細川家)17
咲が心身ともに疲労困憊しながらも何とか敗残兵を纏め上げ、武田勢の追撃を振り切って命からがら高遠城に逃げ帰ることができた。妻の無事を祈るように願っていた山中竜之介はことのほか再会を喜び、感涙して抱き合った。
 そして数週間後には、足利義輝ら精鋭と共に復仇戦を挑むべく、葛尾城へと出立した。その動きに呼応して駿府館からは遼太郎らが小田原城攻略の為の兵を挙げることになっている。一大反攻作戦の始まりであった。
 葛尾城にて、しばらくは諸将らとともに久々の勝利の美酒に酔いしれていた武田晴信だったが、細川兵再来の報を聞き早々に戦支度を整えていた。名将の称号は伊達ではなく、細川勢が押し寄せる頃には城の修復を完了させている辺りは流石というほかない。だが、その名将の采配をもってしても今度の細川方の強健ぶりには劣勢を余儀なくされていた。
 強い、迅い、固い・・どれをとっても先日の軍勢とはまるで違っていた。まるで、どこか全く違う軍勢と相対しているかのように、その変貌振りには晴信も驚かされていた。
「これが細川の真の実力というわけか・・。まさかこれほどとは・・。」
 竜之介の指揮により水を得た魚のごとく、細川方は自在に陣形を変形させ、戦場を蹂躙していた。野戦での迎撃に失敗した武田信繁は、篭城戦の支度をするよう兄に訴えたが、春日山城方面から岡田三郎太の軍勢が迫っていることを察知していた晴信は早々に葛尾城の放棄と後方への退却を全軍に命じた。「だが易々とこの城を落とせるとは思うなよ。」
 死兵と化した信繁率いる守備隊の頑強な抵抗に、さすがの竜之介も手を焼き、晴信はその間に長男・義信が守る箕輪城へと退却することができた。ほどなくして葛尾城がついに落ちたが、守将の信繁は脱出に成功し、捕縛されることはなかったという。竜之介は武田の勇将の活躍ぶりをむしろ称賛し、それ以上の追撃を行わず、葛尾城の修復と城下の民の鎮撫を傘下の将に命じた。こうして信濃平定戦は幕を閉じた。


 遼太郎らの攻撃により小田原城が落ちるのもほぼ同時だった。上杉謙信による迎撃すらも寄せ付けることなく、常に安定した戦いを見せたことで、遼太郎の戦場での名声も高まるばかりである。
 天下の名城が手中に入ったこと、今後東国の平定が控えていることを受け、細川晴元は居城を小田原に移すことを決め、一族と共に移り住んだ。大阪城には三好長慶を残し、後方支援に専念させることにした。小田原に移った晴元は、遼太郎らに早速城の改築と城下町の整備に当たるよう命じている。


 ここに来て、宿敵・武田家の凋落ぶりは火を見るよりも明らかになった。信濃、相模伊豆と2カ国を細川家に奪われ、里見家には武蔵の地を追われた現状に、一時の興隆は見る影もない。九州を制圧し、関東より西をすべて手中におさめた細川家との勢いの差は一層際立っていた。


 晴元は武田晴信をさらに追い詰めるべく、葛尾城より足利義輝隊、躑躅ヶ崎館より織田信長隊に出兵を命じた。指示を受けた二将は早々に兵の編成を終えるとそれぞれ岩付城、河越城への進攻を開始した。
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【2015/11/27 01:10 】 | 信長の野望 | 有り難いご意見(0)
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