
西日本を平らげた当たりで、島津家の方針として文化振興を優先課題とした。寺社文化、南蛮文化、武家文化を立て続けに極めた。今は公家文化を8割方振興済みである。

朝廷から関白就任の打診、部下からは開府の要望があったが、いずれも捨て置く。今回は覇王エンドと連立政権エンドが観たいのだ。すまん!
北条氏政自ら同盟を願い出てきた

。16歳になる娘、縁を嫁にくれるなら了承すると伝え、苦渋の選択を迫る。氏政は泣く泣く了承。島津義久59歳

、北条縁16歳

。世が世なら犯罪と言われても仕方のない夫婦の誕生である。

ゲヘ、ゲヘヘヘへ
弟の義弘は祝いの能楽を舞ってくれた。

兄弟全員で指南を受ける。

小谷城で能を舞い、幼な妻との満ち足りた生活を謳歌している間に部下達に完全委任して、前線を任せた。圧倒的兵力により次々と城は落ち、織田家は規模を大きく縮小。徳川家は傘下に入った。関東以北のみとなった織田家は東北の南部家と同盟を締結。巻き返しを図っているようである。
ただ義久を筆頭に、島津4兄弟はもう小谷城から出ることはないかもしれない。

「そう、せい。」と、今日も北大路●也のように言っている。
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