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【2024/04/26 05:40 】 |
黒軍師・蘭宝玉と三人の主任研究者
『委細承知。』
董清及び福貴の連名で返書が送られてきた。董清らしい簡潔な文書である。彼の下には、事前に蓬莱信自身からも許しを願う文が届いており、福貴にも図った上で『諾。』と答えてあった。無論彼に蓬莱信の身に訪れた幸福を賀する気持ちがない訳ではない。言葉を飾らない彼にとって、精一杯の祝辞の言葉だった。


天水からの迎撃軍の第2波が到来したが、またしても一撃の下に粉砕された。成公英率いる兵の数は明らかに第1波に比べて減っており、彼の天水における立場が苦しいことが窺われた。だからと言って、董清に手を緩めてやる道理もない。全軍に粛々と前進を命じるのみであった。


『即、戟兵鍛錬法の研究を始めよ。』
黄権が朝起きると共に、居室に書状が届けられた。読み違えたかと思い、もう一度読み直したが書いてあることは寸分たりとも狂いはなかった。
「はあああっ!?一体ここの生活はどうなってるんだ!?」


新野に新たに設けられた研究棟にやってきたのが数週間前。張春華の到着を待って、初期こそ退屈とも言える日々を送っていたが、張春華が到着し、主任研究員が揃った頃から、地獄とも言える日々が始まった。いきなり『槍兵を効率的に鍛え上げることのできる鍛錬法を10日で編み出せ!』と来て、できなければ即クビとも伝えられた。「代わりはいくらでもいるのよ~。」と蘭宝玉からはにこやかに軽やかに、それ故に恐ろしい一面を見せられもした。
それからの10日間、まさに3人であーでもないこーでもないと試行錯誤を重ねた挙句、ようやく10日目に夜半すぎになってレポートを纏めることができた。昨日は風呂にも入らず、即寝床に潜り込んだ。おそらく他の2人も同様であろう。そしてまだ寝ぼけ眼のまま、厠に行きたくなって、寝床を抜け出した途端にこれである。
「訴えてやる~。」と思わず拳を振り上げるが、趙雄、魯淑瑛、董清と主だった者が皆、承認している計画であったことを思い出して、拳の下ろし所がないことに気付き、嘆息するしかなかった。

 
「思ったよりも研究スピードが早いわね。流石といったところかしら。」
次々と主任研究員を支える助手の養成と上庸実験場で得られるデータを新野へと送っているが、なかなかどうして3人はよく捌いているようだ。蘭宝玉は実験機の追加生産と実験場の増築を決めた。


「張魯に実験場を拡張するよう伝えて頂戴。なんなら他の場所に第2実験場を構えてもいいわ。それから新野の主任研究員には滋養強壮に良い食べ物をたんと作って差し入れしてあげて。がんばってくれている3人に労いの言葉も添えてね。」現在の世に言うドーピングというやつだが、何気に蘭宝玉は飴と鞭の使いどころを知っており、優しさの裏にも強かな計算があるようだった。元教え子だった董清に言わせれば、「先生は夜叉だ。」とのことである。
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【2014/05/06 12:58 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
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