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【2024/04/19 18:33 】 |
上庸大実験場の設営

 上庸で蘭宝玉の命を帯びた大実験場の設営が進み始めた。まずは張魯が軍楽台2基を設置にかかっている。斜角計算、威力確認、夜間訓練等々、基礎研究と応用研究が平行して進められる予定である。そうなれば技術者達の学問が捗り、この都市で同時に進められている投石機の量産計画と共に大いに荊北同盟の原動力となるであろう。


 そしていよいよ董清が漢中軍に天水への進攻を命じた。陽平関で敵軍と正面衝突する愚を犯さない為、北道をあえて通らず、西の桟道を抜ける道程である。今回は大和・福貴隊に加え、董清・魯蓮隊も投石機を率いる。鬼龍隊と林玲隊がそれぞれ護衛に弩兵隊を率いる念の入れようであった。

 
 漢中軍は桟道に差しかかった。董清は副将に任じた魯蓮の様子を案じていた。漢中を進発する前からこの方何やら考え込んでいる節があるのだ。福貴には小言をこぼされたが、西涼討伐の初戦である。大事の前の小事と割り切る訳にもいかない。不確定要素を持つのは好ましくないが、今度の決戦には魯蓮の力も必要であった。であれば、自身の監督下に置くしかないであろう・・という配慮である。(福貴には、それをダシにして色事に走ろうとしていると邪推されているが。)
 その頃、蘭宝玉は永安の開発に目処を付けつつあることもあって、次なる計画を実行に移そうとしていた。まずは趙雄夫妻に研究員3名を選抜してもらいたいとの書状を送った。

 張春華は召集命令を受けたものの、陳留から動けずにいた。文醜隊が城外に陣取り、包囲を続けているためである。現在周信らが撃退に出ているが、外出禁止令は敷かれたままであった。蘭宝玉からは急がなくても良い旨を通達されているが、一大計画に参画できるということで、秘かに期待に胸を躍らせていた彼女は少々焦らされる日々を送る事になった。

 上庸での実験場は着々と施工が続いている。実験に同時使用する投石機の数を増やす為、一時的に宛にあった3台を借用することにした程だ。

 蘭宝玉は永安で穀倉を建設しながら、遠く上庸や新野に次々と指示していた。傍らの農民からしてみれば、農地で何やら緻密な計算と複雑な計算をしている彼女は異端である。奇異に見えたとしても仕方がなかった。「ええと、これで人材は確保できたから、あとの課題は研究進捗と資金の調達ね。巴蜀と上庸の資金をあてにするとして・・。ええとそれから・・・。」

 蘭宝玉は王圃と共に永安の地を離れ、上庸へと向かった。各種実験の土台となる投石機の開発と、そこで繰り返される実験データを下に研究を重ねる研究員の養成を担うためである。実験設備の建設は張魯が中心となって、急ピッチで続けられており、霹靂の研究が終了するであろう時期に合わせて投石機に搭乗する人材も選定する予定だ。


 漢中軍が桟道をようやく抜けた。天水を守備する成公英はおそらくこちらの動きを察知していると考えた方が無難だろう。にも関わらず、桟道の出口で待ち受ける兵はいなかった。やはり他に隊を任せられる人材が不足しているのだろう。成公英一人ではどうしようもないに違いない。とは言え、座して天水に漢中軍が殺到するのを待つはずもなく、そろそろ迎撃に出てくるはずである。

 
 董清の読み通り、成公英は漢中軍の接近を察知していたが動くに動けない状況であった。相次ぐ陽平関の出兵により、天水では成人男子があらゆる部署で不足が目立ち始め、それに伴い事故の発生、治安の悪化が急増する事態になっていた。警邏隊の士気を任せることのできる人物すらおらず、成公英自身が城内に残って陣頭指揮を執る有様であった。よって城内を留守にする訳にもいかなかったのだが、敵軍接近の報が民にも知れ渡ると、特に一定の財産を保有する中流層以上が自分達の生活が脅かされることに不安を覚え、「何故迎撃しないのか?」と口々に不平を言い始めた。内通の懸念もあり、強権を発動して戒厳令を敷く訳にもいかず、天水まであとわずかというぎりぎりの所で成公英は出陣した。つくづく先年からの出兵により諸将がいないことが恨めしい。だがそんな成公英の悲壮な覚悟すら読みきっていた董清は諸将に命じて包囲陣を敷き、あっけなく天水軍を粉砕した。瞬く間に全滅の憂き目にあった成公英はほうほうの体で天水へと逃げ帰った。勝手気儘なものではあるが、天水の民の怒りがさらに膨れ上がったのは言うまでもない。
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【2014/05/06 01:57 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
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