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「ふん、臆病風に吹かれよったか。董清なんぞ何する者ぞ。いざ、突っ込めー!」
黄権隊は、自身の隊を視野に入れた途端に前進を止めた敵軍を見て、それが策であるとは気付かなかった。薄らと霧がかかっていて、董清達が敷いている陣が良く分からなかったというのも不幸だった。勢いを借りて、先陣の兵が目の前の井蘭隊に襲いかかろうとした瞬間、四方八方から火矢が降り注いだ。 「なっ、これは!」 黄権が驚いて言葉をろくに発する事も出来ぬ内に、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。矢に貫かれて一瞬で生気を失った者、火に纏わりつかれて転がり回る者、5千もの兵を擁していた黄権隊が敵軍と対峙してからわずか半刻あまりでその大半の兵を失っていた。なんとか体勢を立て直そうと黄権は兵の収拾を図るが、一方的な攻撃はなおも続き、その日黄権が退却の下知をして彼に従った兵は千程度だった。わずか1日で8割もの兵を失った黄権は果たして愚将の烙印を押されることになるだろう。だが、今の彼にはそれを嘆いている暇はなかった。董清の作戦はまだ終わっていないのである。 秦カイ隊の増援を得て、黄権隊は復讐戦を試みた。しかし、それは最早手遅れだった。「翼を閉じよ。」との号令が聞こえたかと思うと、劉璋軍は両隊とも完全に囲みの内に取り込まれてしまっていたのだ。あっと言う間に助力に来たはずの秦カイ隊が全滅し、黄権は供回りの者を連れて囲みの突破を図った。だが、董清隊からの執拗な追撃を受け、とうとう黄権を除くすべての兵が死んでしまった。奇跡的に生き延びていた秦カイと黄権はたった二人で永安城へと落ち延びていった。永安攻略戦の前哨戦は江州軍の圧勝だった。 永安から第二の迎撃部隊が接近していることを聞き、再び董清は迎え撃つ布陣を敷いた。なるべく兵の被害を抑えつつというのが狙いだが、永安で繰り返し募兵が行われている事を聞き、少々嫌気が差してもいた。目前の敵を壊滅させたら、一気に永安まで進むべきか?と先程から何回か自問自答している。 成都では蘭宝玉が趙雄からの使者に謁見しているところだった。曰く洛陽攻略の是非を問うとのことだが、それについては彼女も考えていた事である。軍師の賛同を得て使者がすぐさま踵を返そうとするのを止め、条件を付けた。今正に孫家に襲われている陳留を先に押さえるべし、と。陳留は将来黄河以北に軍を展開するに当たっての言わば玄関口になり得る。ここを孫家に押さえられては、荊北同盟の兵站に不安が出る。国都を直轄地にするのは確かに魅力的だが、それは後に回してもいいのではないだろうか。 趙雄からの返書を読み、蘭宝玉は少し嬉しそうに笑った。 「さすが、我らが盟主。よくお気付きです。」 そして先の陽平関攻防戦で、宇文通を引き抜いた時のことを思い出していた。あの時、陽平関の向こうで弓の扱いに長けた者がいると聞き、調査をしたところ、宇文通という無名の女性だった。幸い、馬騰軍に他に弓の取り扱いに長けた者はいなかった。しかし何よりも彼女の持つ高い騎射技術を恐れた蘭宝玉は意を決して、彼女と彼女の部隊の引き抜きにかかったのだ。思えばあの時こそが漢中最大の危機であったと思う。その後、彼女ほどに射撃に長けた者は現れていないが、早晩趙雄の危惧するとおり、技術革新を得て、馬騰軍が陽平関を通過してくる可能性がある。彼女はしばし熟考した後、梓潼にいる楊修に弩兵隊に仕込む応射技術を確立するように命じた。この技術があれば、馬騰軍に与える被害を大きくすることができるだろう。あとは火矢を効果的に用い、陽平関北側に敵が駐屯できぬようにすることも難しくないはずである。 永安戦線では、幾度目かの包囲殲滅作戦が成功し、劉璋軍の遊撃部隊を壊滅させていた。 「そろそろ、だな。」 董清は頃合と見て、全軍に前進を命じた。次にまた敵部隊が出撃してきても、退いて備えるのではなく、蹴散らして一気に永安城へと迫ることにしたのだ。すでに永安に篭る兵数は3千程度になっており、強攻策に転じても被害は少なかろうとの読みだった。じっと耐え忍んで董清の命に従ってきた鬼龍や大和が嬌声を上げる。やはり彼らの本分は守勢ではなく、攻勢にこそあるのだろう。 PR |
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