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【2024/03/30 00:54 】 |
巨星、堕つ
陽平関の資金が底を尽きかけている。にも関わらず、群がる馬騰軍の将はその数を増しており、最早俸給の遅滞も止むを得ない状態になるのも間近である。上手く行けば関所毎ごっそりと味方に付けられるのではないか。今は裏切り者の宇文通への怒りで一丸となっているが、それも冷めればどうなるか。一気に馬騰軍を危機に陥れることも可能かもしれない。


 趙雄の求めに応じて張繍を宛へ送り、留守になった上庸へは張松らを派遣した。元々上庸は兵装や兵器の製造基地として位置づけて建設されていた為、いつ何時でも漢中や宛へ輸送できるように今後も配慮していく予定だ。漢中では到着早々、曹仁が技術開発を命じられて困惑していた。「いきなり出陣を命じられるかと思っていたが・・・。」と弩を渡されて苦りきった顔をしている。生粋の武人として生きてきた彼も漢中軍にあっては柔軟さを求められる。当主の従兄弟だとかの特権もここでは効かない。実力社会の粋たる場所とも言えよう。さて、彼はここで上手くやっていけるのか。


 上庸では井蘭の生産と弩の生産が始まった。あまり一辺倒なのも戦略の幅を狭めてしまいかねないので、今後は衝車なども生産ラインに乗せるとしよう。戟や槍も無節操に選択していこうと考えている。曹操軍の領地は今や袁紹や馬騰によって草刈場と化している。曹操軍に打撃を与えたのは我らが同盟軍だが、餌を横取りするかのように両陣営が軍を推し進めている。弱肉強食は乱世の倣いとは言え、一歩間違えれば自分達がそんな立場だったかと思うと、薄ら寒いものを感じずにはいられない。


 福貴隊の攻勢は留まるところを知らず、葭萌関もまた一週間とかからず陥落した。


 そしてとうとう梓潼まで後一歩と言うとこまで迫った。董清や鬼龍は後から続き、一応護衛と言う形を取っているが、正直まだ活躍する機会はなかった。その分、梓潼攻城戦においては
遺憾なく力を発揮するつもりである。


 とうとう梓潼城への攻撃が始まった。福貴隊から放たれる無数の火矢が劉璋軍へと降り注ぐ。たまらず迎撃隊が出てくるが、鬼龍隊と董清隊の攻勢を食らい、既に半壊状態である。
「来週ぐらいには陥落しそうね。」
「さっそく蘭達を読んで、内政に取り掛からせよう。我々はすぐに成都攻略準備に入るぞ。」
「ええ、益州平定はまだ始まったばかりですものね。」
およそ男女の色恋には程遠いが、董清と福貴夫妻にしては随分と和やかに会話が成されるようになった。宛防衛戦、そして今回の遠征と、戦場での共同生活を長らく続けるうちに絆が強くなったようである。董清が林玲を始めとして他の女性との夜遊びをする暇がなくなったというのも大きいかもしれないが。


「無念。」
 董清との仕合に敗れ、呉班は捕らえられた。眼前には漢中軍の旗が立てられた梓潼城が見える。その城内でも王甫が脱出に失敗し、捕虜となったようだ。新興勢力の噂を聞いたのがちょうど1年前。はるか宛の地が名も無い勢力により陥落したとの話だった。その時は大して気にも留めていなかったのだが、その後あの曹操軍の猛攻を凌ぎ、逆に曹操軍瓦解のきっかけを作ったとの話を聞いて興味を引いたのだった。しかし、まさか梓潼への攻略を許し、あまつさえ自分が縄の戒めを受ける事になろうとは想像すらしていなかった。運命とは分からないものである。


「良いでしょう。いつまでも防衛に務めるのにも限界があるでしょうし、今の勢いに乗じて襄陽の攻略に乗り出すことを是とします。」
 蘭宝玉は湖陽港から届いた申請にしばし黙考してから許可を出した。元々守勢に用いるべき将ではなく、攻勢にこそ生きる者達だ。加えて今は曹操軍の再三の撃退に成功して、士気は最高潮にある。それに同盟相手とは言え、孫策軍がさらに増大するのを見過ごせないという事情もある。彼らが荊州攻略に乗り出してくる前に先じておくのも悪くない。


 新野で水上戦が始まろうとしている頃、梓潼では成都攻略準備と同時に急ピッチで開発が進められていた。漢中が馬騰軍に攻め立てられてる以上、益州攻略の要としてここを機能させる必要がある。とは言え、兵装は漢中からの輸送で賄うことにして、兵舎を増設しておく必要があった。劉璋軍が永安まで版図を広げている以上、彼らを壊滅させるには更なる募兵が必要だからだ。兵糧と軍資金の確保は、益州平定後にも必要であるので、市場と農場の拡張も忘れない。
 軍事面では荀攸がやってきたことが大いにプラスになっている。彼は兵力の士気を維持する術を心得ており、大掛かりな作戦を実行しようとも兵士の精神的損耗を最低限に抑えられるのだ。彼が演習に加わって分かった嬉しい側面である。これで出し惜しみすることなく、蘭宝玉は頭に思い描いた戦術を実行に移す事ができる。荊北同盟が名実共に充実してきたことで、思う存分采配を振るうことが出来る喜びを彼女は噛み締めていた。


「まずは許昌でしょう。」
宛で議論が真っ二つに分かれていることを聞きつけ、軍師として蘭宝玉は以下を根拠とする意見書を趙雄に提出した。
  • 宛から許昌までより洛陽までの道のりは遠く、途中に関が2つもある。兵站が長くなる事と、長安の馬騰軍に横合いを急襲される恐れがある。
  • 仮に洛陽を押さえても、袁紹、馬騰、曹操と多数の勢力と国境を接する事になり、防備に余念が無くなる。対して許昌は曹操だけを気に掛けていれば良い。
  • 許昌を押さえれば、隣国の領主不在地である汝南を確保しやすくなる。
  • 漢帝を保護すれば大義名分が立ちやすく、漢帝を袖にして、先に都を占領すれば、利益優先・国家私物化の謗りを受ける事になる。

「迂闊。金がない。」
あまりに急ピッチで開発を進めた為に梓潼では軍資金が底をついていた。蘭宝玉にしても全方面に気を配るうちに、膝元を疎かにしており、反省すべき点である。何でもかんでも私に振らないでよ、と開き直る事ができるのも彼女の美徳ではあるのだが。まあ、うっかりしていたと言えばそれまでなので、資金が唸るほど余っている漢中より取り急ぎ輸送させる事にした。とりあえず成都攻略軍を出立させたら、緩やかに開発を進めていくしかないだろう。
陽平関ではとうとう賃金の未払いが発生し、将兵の不満が渦巻いていた。上手く行けば関ごと丸々引き抜くことができるかもしれない。馬騰軍本隊が陽平関を軽視していれば良いのだが。心配りの細やかな参謀がいれば、忠誠が下がるのを見過ごさず将を天水や長安に呼び戻すなり、資金を輸送するなりするであろう。


 上庸で兵器生産が続けられている。攻城兵器の井蘭が既に1機完成しており、衝車が凡そ2ヶ月程で完成する見込みだ。これらは董清の指示で宛へと輸送し、許昌攻略に活用してもらう手はずなのだが、如何せん人手不足で輸送隊の編成ができぬ有様である。そこで最近悪化しつつある上庸の巡察と宛への兵器輸送を兼ねて、宛の武将を一人寄こして欲しいという文を出す事にした。急ぐ話ではなく、衝車完成の頃合を見計らってもらえば良いと書き添えておくのを忘れてはいない。董清も昔に比べれば、同盟相手の趙雄を随分と頼みにし、信頼するようになってきていた。今回の兵器融通もその証であろう。昔の董清からは想像すらできない行動だが、宛での共同生活で趙雄から何か得るものがあったのか、董清自身の為政者としての成長所以か、おそらくその両方であろう。


 その頃、はるか華北の地で時代を牽引してきた巨星が静かにその瞬きを止めようとしていた。


 袁紹本初。曹操と中華を二分し、その領地の豊かさ、軍団規模の大きさ、人材の豊富さから最も天下人に近いと言われた男である。


 だが巨大な権力を意のままに操った彼も死を前にして抗うことはできなかった。


 そして巨大すぎる袁家の当主が世を去った後、かの家で待っていたのは長男と三男による骨肉の争いであった。
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【2014/03/30 16:09 】 | 三國志 | 有り難いご意見(0)
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